【社内活性化の原点】玉音放送|お知らせ|オンダ国際特許事務所

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【社内活性化の原点】玉音放送

(パテントメディア 2012年1月発行第93号より)
会長 弁理士 恩田博宣

1.はじめに

現在、日本は不景気とはいえ、飢え死にするような人はいません。一般庶民の暮らしは、自動車あり、エアコンあり、ハイビジョンテレビあり、冷蔵庫あり、ほしい食べ物も何でも手に入ります。世の中はいかにダイエットするか、いかに痩せるかに意を注ぐほど暖衣飽食の時代の真っ只中にあります。
しかし、昭和20年太平洋戦争の終戦前後の日本庶民の暮らしは、食糧不足で大変でした。

そんな中、昭和20年9月10日初めての天皇と占領軍総司令官マッカーサー元帥との会見が行われたのです。そのとき天皇は「私は、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、お訪ねした」と告げられたのです。マッカーサー元帥の回想録の中に出てくる下りです。これに対して、マッカーサー元帥は「私は、この瞬間、私の前にいる天皇が、日本の最上の紳士であることを感じとったのである」と同じ回想録の中で述べています。
そして、翌昭和21年5月から昭和29年にかけて昭和天皇は全国を巡幸され、国民を励まされたのです。

岐阜の巡幸は昭和21年10月24日~26日でした。筆者は小学2年生でしたが、加納新本町へお迎えに行きました。沿道には実に多くの岐阜市民が集まっていました。天皇は夕刻薄暗くなった岐阜市内を車でゆっくりと目の前を通られたのでした。天皇が巡幸されるだけで、国民が大変励まされることを目の当たりにしたのでした。

筆者の父は終戦まで警視庁に勤め、特別高等警察官いわゆる特高でした。終戦と同時に公職追放になり、岐阜の生家に戻り、農業に従事しました。農家でも当時は食料に困っていました。サツマイモのツルを刻んで炒めて食べたこともあったくらいです。小学校でも中学校でも体重がクラス一番というのは、ステータスでした。中学の先生は「1日何回も階段を昇り降りすると体重が減るので、余りしないように」と、注意するほどでした。
日本はそんな貧しい生活の中から立ち上がったのです。

筆者の記憶では、家庭で肉や魚のいわゆる動物性のたんぱく質が食膳に出ることはめったにありませんでした。たまたま出たりすると、食べ過ぎてしまい胃を壊してしまったものです。昭和30年代になってからだと思うのですが、バナナがボツボツ入ってくるようになりました。兄弟4人で1本を分けて食べるということもありました。今でも1本を一人で食べてしまうのに、罪の意識に近いものを感じます。

2.玉音放送

さて、今回のパテントメディアでは「玉音放送」を取り上げたいと思います。玉音放送というのは、太平洋戦争の終結を、昭和天皇が決断され、一般日本国民に対し、ラジオ放送を通じてそれを自らの声で通告されたのですが、その放送をいいます。昭和20年(1945年)8月15日のことでした。

当時、筆者は小学校1年生でした。岐阜市内は同年7月9日B29爆撃機による空襲で家を焼かれ、家財道具も何もないバラックに住んでいました。筆者の家から100メートルくらいのところに、たまたま焼け残った2件の民家がありました。そこには運よくラジオもあったのです。正午に玉音放送があるというので、近所の住民がその人の家の庭に集まりました。頭を垂れかしこまって聞き入りました。ラジオが古く、音声が明瞭に聞こえないばかりか、内容が大変難しいために、筆者は何一つ理解できませんでした。
放送が終わるや大人たちは「日本は負けたのだ」と口々に話していました。沈痛な面持ちでした。

日本人の誰もが「日本が負ける」ということは考えていませんでした。筆者も「そんなことがあるものか。何かの間違いだ」と腹を立てながら、家に帰りました。

しかし、客観的な情勢からは明らかに日本が追い詰められていることが、小学1年生の目にも明らかでした。しばしばB29爆撃機が岐阜の空に現れます。真昼間に大編隊が岐阜の空を西から東へ通過したときのことです。日本の高射砲が打ち鳴らされるのですが、その弾は遥か下方で破裂し、B29には届かないのです。しかし、どうでしょう。B29が1機煙を吐いて落ちたのです。岐阜中から大歓声が上がりました。皆見ていたのです。しかし、後から聞こえてきた話は、日本の戦闘機が1機迎撃に赴いたのですが、打ち落とされたということでした。

毎日のように、あちらの町が爆撃された、こちらの市がやられた、という話ばかりでした。しかし、小学1年生はそれでも「日本は勝つ」と信じて疑わなかったのです。負けたという話は小さいながら大きなショックでした。

3.終戦の詔勅

その昭和天皇の終戦の詔勅を解説したいと思います。パテントメディア87号(2010.9)で教育勅語を取り上げましたが、玉音放送も同じ詔勅の形を取っています。
当時、玉音放送を巡って戦争継続を主張する若手将校たちが、天皇を拉致し玉音放送の録音版を奪回しようとした事件があったのです。その企ては失敗し、終戦となったのですが、昭和天皇のご聖断がなければ、もっとたくさんの原爆が日本に降り注ぎ、本土決戦でさらに多くの犠牲者が出るところでした。
天皇のご聖断が日本再興の端緒となったのです。

4.詔勅本文

朕深ク 世界ノ大勢ト 帝國ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ 時局ヲ収拾セムト欲シ 茲(ここ)ニ 忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク
朕ハ 帝國政府ヲシテ 米英支蘇 四國ニ對シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨 通告セシメタリ

抑々(そもそも) 帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ 万邦共栄ノ楽(たのしみ)ヲ偕(とも)ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ 朕ノ拳々(けんけん)措(お)カサル所 曩(さき)ニ米英二国ニ宣戰セル所以(ゆえん)モ亦(また) 實ニ帝國ノ自存ト 東亜ノ安定トヲ庶幾(しょき)スルニ出テ 他國ノ主権ヲ排シ 領土ヲ侵スカ如キハ 固(もと)ヨリ朕カ志ニアラス

然(しか)ルニ 交戰已(すで)ニ四歳ヲ閲(けみ)シ 朕カ陸海将兵ノ勇戦 朕カ百僚有司ノ勵精(れいせい) 朕カ一億衆庶ノ奉公 各々最善ヲ尽セルニ拘ラス 戰局必スシモ好転セス 世界ノ大勢亦我ニ利アラス

加之(しかのみならず)敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ 頻(しき)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所 真ニ測ルヘカラサルニ至ル

而モ 尚 交戰ヲ継続セムカ 終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ

斯(かく)ノ如クムハ 朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子(せきし)ヲ保シ 皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ

是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝國ト共ニ終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ 遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス 帝國臣民ニシテ 戰陣ニ死シ 職域ニ殉シ 非命ニ斃(たお)レタル者 及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ 五内(ごだい)為ニ裂ク

且(かつ)戰傷ヲ負ヒ 災禍ヲ蒙リ 家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念(しんねん)スル所ナリ

惟(おも)フニ 今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ 固ヨリ尋常ニアラス

爾臣民ノ衷情(ちゅうじょう)モ 朕善ク之ヲ知ル

然レトモ朕ハ 時運ノ趨(おもむ)ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ万世ノ為ニ 太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲ニ 國體ヲ護持シ 得テ 忠良ナル爾臣民ノ赤誠(せきせい)ニ信倚(しんい)シ 常ニ爾臣民ト共ニ在リ

若(も)シ夫(そ)レ 情ノ激スル所 濫(みだり)ニ事端ヲ滋(しげ)クシ 或ハ同胞排擠(はいせい) 互ニ時局ヲ亂(みだ)リ 為ニ 大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ 朕最モ之ヲ戒ム

宜シク 擧國一家子孫相伝ヘ 確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ 任重クシテ道遠キヲ念ヒ 總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤(あつ)クシ 志操ヲ鞏(かた)クシ 誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ 爾臣民其レ克(よ)ク朕カ意ヲ體セヨ

御名御璽

昭和二十年八月十四日

5.終戦の詔勅の意味

※以下、詔勅の意味を解説します。お忙しい方は、太字の現代語訳の部分のみお読み下さい。

朕深ク 世界ノ大勢ト 帝國ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ 時局ヲ収拾セムト欲シ 茲(ここ)ニ 忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク
「朕」は天皇が自らのことを言う第1人称の言い方です。昔中国で天子が自分のことを「朕」といったことに源があります。帝國は日本のことです。「鑑み」は先例や規範に照らして考えること、「忠良」なるは「国家に対して忠義をつくし、善良である」という意味です。

全体としては「私は深く世界の大勢と日本国の現状を照らし合わせて考え、非常の措置を以って現在の情勢を収拾しようと思い、ここに忠義を尽くし善良なる国民の皆様に申し伝えます」となります。

朕ハ 帝國政府ヲシテ 米英支蘇 四國ニ對シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨 通告セシメタリ

「支」は中国、「蘇」はソ連を指します。「共同宣言」はポツダム宣言のことです。
ポツダム宣言は戦争終結の条件が内容となっている最後通告でした。もし受諾し、無条件降伏しなければ、日本を破壊し尽くすという内容、また、戦争責任者の処罰や日本の領土を制限することや日本に民主主義を根付かせることについての内容もありました。

「私は日本政府をして、米英中ソ4カ国に対して、ポツダム宣言を受諾する旨通告させました」

抑々(そもそも) 帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ 万邦共栄ノ楽(たのしみ)ヲ偕(とも)ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ 朕ノ拳々(けんけん)措(お)カサル所 曩(さき)ニ米英二国ニ宣戰セル所以(ゆえん)モ亦(また) 實ニ帝國ノ自存ト 東亜ノ安定トヲ庶幾(しょき)スルニ出テ 他國ノ主権ヲ排シ 領土ヲ侵スカ如キハ 固(もと)ヨリ朕カ志ニアラス
「康寧」は平穏無事であること、「万邦」は多くの国々のことで世界をいいます。「共栄」は共に栄えること、「遺範」は先人の残した手本のこと、「拳々」というのは両手で捧げ持ったり、体を丸くかがめて慎んだりすること、「措カス」は物事をそのままに打ち捨てておくこと、「自存」とは自ら生存を図ること、自衛、「庶幾」は乞い願うこと。

「そもそも日本国民の平穏無事であることを図るとともに、世界繁栄の喜びを共有することは、代々の天皇が確立した考え方の手本であって、私が大切に守ってきたところである。先に米英2国に対して宣戦した理由も日本国の自存と東アジア諸国の安定を乞い願ったからであって、他国の主権を排除し、領土を侵そうなどとは、私の志ではない。」

然(しか)ルニ 交戰已(すで)ニ四歳ヲ閲(けみ)シ 朕カ陸海将兵ノ勇戦 朕カ百僚有司ノ勵精(れいせい) 朕カ一億衆庶ノ奉公 各々最善ヲ尽セルニ拘ラス 戰局必スシモ好転セス 世界ノ大勢亦我ニ利アラス

加之(しかのみならず)敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ 頻(しき)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所 真ニ測ルヘカラサルニ至ル

「閲シ」は「年月が経過する」、「僚」は同じ仕事や役目を持つ仲間、「有司」は役人、官僚のこと、「勵精」は励み勤めること、「衆庶」は一般人、「無辜」は罪のない人々。

「しかるに、交戦はすでに4年を経過し、わが陸海将兵の勇敢な戦い、わが多くの官僚の奮励努力も、わが一億の庶民の奉公も最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢も又日本に有利に展開していない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、たびたび罪のない人々を殺傷し、惨たんたる被害が及ぶ範囲は全く予測できない状態に至っている。」

而モ 尚 交戰ヲ継続セムカ 終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ

斯(かく)ノ如クムハ 朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子(せきし)ヲ保シ 皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ

是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

「億兆ノ赤子」億兆は数の多いこと、日本国民を指します。赤子は赤ん坊のことで天皇陛下から見たときは国民のことです。「保シ」守る、保護すること。

「もし、これ以上戦争を継続したときには、ついにわが日本民族の滅亡を招来するだけではなく、ひいては人類の文明をも破壊し尽くしてしまうであろう。このようなことでは、私はどのようにして、多くの国民を守り、代々の天皇の御霊前に謝罪したらいいだろうか。決してできないことだ。これが私が日本国政府をしてポツダム宣言に応じさせるに至った理由である。」

朕ハ帝國ト共ニ終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ 遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス 帝國臣民ニシテ 戰陣ニ死シ 職域ニ殉シ 非命ニ斃(たお)レタル者 及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ 五内(ごだい)為ニ裂ク

且(かつ)戰傷ヲ負ヒ 災禍ヲ蒙リ 家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念(しんねん)スル所ナリ

惟(おも)フニ 今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ 固ヨリ尋常ニアラス

爾臣民ノ衷情(ちゅうじょう)モ 朕善ク之ヲ知ル

「非命」思いがけない災難で死ぬこと、「五内」五臓六腑のこと、「軫念」天子が心を痛め、心配すること、「衷情」うそ偽りのない本当の心。

「私は日本国と共に、終始東アジア諸国の開放に協力してもらった同盟諸国に対して、遺憾の意を表せざるを得ない。また、日本国民であって、戦で戦死した者、公務で殉職した者、思いがけない戦災で亡くなった者の遺族に思いをいたすと内臓を切り裂かれる思いである。
また、戦傷を負い、災禍を蒙り、家業を失った者の厚生については、私が深く心を痛め心配しているところである。思うに、今後日本国の受けるであろう苦難はもとより並大抵のことではないだろう。日本国民の皆さんのつらい偽らざる本心は私もよく理解している。」

然レトモ朕ハ 時運ノ趨(おもむ)ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ万世ノ為ニ 太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲ニ 國體ヲ護持シ 得テ 忠良ナル爾臣民ノ赤誠(せきせい)ニ信倚(しんい)シ 常ニ爾臣民ト共ニ在リ

「万世」は万のも世代のことですから未来永劫ということになります。「太平」は平和な世の中、「國體ヲ護持シ」は国としての形を守るという意味ですが、ポツダム宣言を受諾するかどうかを議論するに当たって、「國體護持」というと天皇制を維持できるかどうかということで、激論が交わされたのです。できないなら受諾すべきではないというのが、主論でした。しかし、昭和天皇は東京空襲の惨状をつぶさに見て回られ、「これ以上の戦争継続はできない」と判断されたのです。
「赤誠」は偽りや飾りのない心のこと、「信倚」は信じ頼ること。

「しかしながら、私は時のめぐり合わせに従い、堪え難いところを堪え、忍びがたいところを忍んで、日本の未来のために平和な世界を切り開こうと、節に希望します。私はここに天皇制を守り、国の形を維持できれば、善良で忠実なる国民の皆さんの真心を信頼して、常にあなた方国民と一緒にいることができるのです。」

若(も)シ夫(そ)レ 情ノ激スル所 濫(みだり)ニ事端ヲ滋(しげ)クシ 或ハ同胞排擠(はいせい) 互ニ時局ヲ亂(みだ)リ 為ニ 大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ 朕最モ之ヲ戒ム

「事端」は騒動や紛糾のこと、「滋クシ」は多発する、「排擠」は人を押しのけたり、陥れたりすること、「大道」は人の進むべき正しい道、「時局」は国家・社会などの、その時の情勢、世の中の成り行き

「もし、国民が感情の激昂からむやみやたらに騒動を多発させたり、人を陥れたりして、互いに世の中の行く末を混乱させることにより、人の進む正しい道を誤らせ、世界からの信義を失うようなことが起こることを、私の最も戒めたいところです。」

宜シク 擧國一家子孫相伝ヘ 確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ 任重クシテ道遠キヲ念ヒ 總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤(あつ)クシ 志操ヲ鞏(かた)クシ 誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民 其レ克(よ)ク朕カ意ヲ體セヨ

「神州」は神の国、日本のこと、「道義」は人のふみ行うべき正しい道、「志操」主義や考えなどを固く守る意志、「精華」は優れていて、麗しいことで、わが国が優れていることをいっています。「発揚」は意気を奮い立たせること、「進運」は進歩・向上していく様子、「體する」人の教えや意向を心にとどめて行動すること。

「何とかして、国を挙げて一家の子孫に対して、次のことを話し伝えて欲しい。すなわち、神の国である日本の不滅を固く信じ、責任は重く復興には道は遠いことを覚悟して、日本の将来の建設のために総力を傾け、人の道を決して踏み外すことなく、この思想を固く守り通し、誓って国の優れていて素晴らしい点を大いに奮い立たせる事によって、世界の進歩向上に遅れないよう覚悟して欲しい。国民の皆さん私の意向を心にとどめて、今後の行動をして欲しい。」

6.まとめ

以上、玉音放送の解説をしましたが、昭和20年8月15日の終戦の日からすでに66年の歳月が流れています。日本国民が失意のどん底に落とされた日でもあったのです。そこから這い上がった日本は世界第2位の経済大国にまで発展することができました。筆者はその間の日本をずっと見てきました。小学校1年生からの66年間です。向かうところ敵なしの経済発展を遂げた昭和30年代40年代、作れば全て売れる時代でした。アメリカの企業が物作りの現場をどんどん日本へ移管しました。アメリカには工場の廃屋がたくさんできたのです。今の日本の様子と似ています。そして、バブル。一般人まで土地取引や株取引に奔走したのです。バブル崩壊。失われた20年。円高、人件費高、法人税高、東日本大震災と電力不足、FTAの遅れ、労働規制、政治の停滞、欧州のユーロ危機、台風15号の紀伊半島被害、タイの洪水による日本企業の被害等7重苦、8重苦で、さらに、日本は経済的停滞を余儀なくされています。

特許出願件数は米欧のみならず、近隣諸国も大幅に増やしているのに、一人日本のみが減少しています。最近の新聞記事には日本の得意とするリチウムイオン電池も韓国、台湾勢にそのシェアを奪われつつあるとのこと。日本のものづくりはみな諸外国の後塵を拝することになってしまうのでしょうか。新卒者の就職も思うに任せません。初任給も下がり続けています。
このまま日本はどんどん貧しい国になって行くのでしょうか。何とか我々日本人の知恵により、この閉塞感を打開したいものです。

例えば、現在TPPに参加することについて、農業団体を中心に大きな反対運動があります。理由は日本の農業が壊滅するということです。日本の農業のGDPに占める割合はわずか1.1%(平成21年度)です。そのためにTPPに参加しなかったならば、日本のGDPの大半を稼ぎ出しているものづくり企業は、グローバル競争厳しい現況下で、日本では生き残れなくなり、国外に出て行ってしまいます。雇用はどこまでも落ちていきます。農業がその雇用減の受け皿になるとは思えません。日本は職につけない人があふれることになります。所得はとことん落ちていきます。

このような理論は誰にも明らかですが、何と300人もの国会議員がTPP反対を叫んでいるのです。ただひたすら自分の国会議員としての議席を守るためにのみ、選挙票におもねているとしかいいようがありません。国の行く末など眼中にないのでしょう。民主主義の悪いところでしょうか。

今一度、玉音放送の「時運ノ趨(おもむ)ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ万世ノ為ニ 太平ヲ開カムト欲ス」の精神に立ち戻り、日本国の再建に立ち向かう必要があります。