弁理士!? ダーウィン主義者による変奏曲【弁理士コラム】|パテントメディア|オンダ国際特許事務所

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弁理士!? ダーウィン主義者による変奏曲【弁理士コラム】

国内特許第1部に所属の栗田と申します。弁理士登録して13年になります。といっても、弁理士だから何?とか問われたら、答えに窮しますが…。

弁理士登録したての頃、フリードマンの「資本主義と自由」を読んでいたら、免許制度なんてやめてしまえと記載されていました。彼は、医者をやり玉に挙げて、患者に医者の技量を見抜く能力がないことは、免許制度を肯定する根拠とならない、そういうことなら、一定の技量を備えていることを認定する認定制で十分と主張しています。そんな彼が、免許制について1つ反論しづらいことがあるとすれば、外部効果だ、伝染病患者が自分の勝手で藪医者にかかって治らないのは本人の勝手だが、周りに伝染病を広げられるのは困る。これは、一定の技量を身に着けた者のみが業務に携わることが可能な免許制の根拠として反論しづらい、というようなことを言っていました。これを読んだとき、弁理士にとって外部効果って何?と思いましたが、答えが見つかりませんでした。というわけで、他の方々は何を考えているのだろう?と思い、弁理士会の総合政策企画運営委員会に入ってみました。タイムリーなことに、その年の課題の一つに、「弁理士は何をしようとしているのかわかりにくいという外部の声に答える」といったようなテーマがあったため、「しめた!」と思い、ほとんどの委員が経営者という委員会の中で大人しく書記を務めて他の委員のおっしゃることを拝聴しました。しかし、委員会では、次から次へと優先すべきテーマが出てきて、その年は、上述のテーマの議論がなされず、次の年に持ち越しとなりました。私は、なんとなく熱が冷めてしまい、翌年の参加を見送りました。

その頃、米国の知財に関する総合レポート「The Evolving IP Marketplace」を読みました。特許制度と競争とがイノベーションを促進する両輪であるとのパラダイムの下、広汎に知財の諸問題が調査され、また論じられていました。200ページを優に超えるボリュームでしたが、興味深く読めました。しかし、特許制度がイノベーションを促進するというパラダイムに関しては、私には実感がわきませんでした。当時は、医薬品の開発からして特許制度は役に立っていないといった批判がなされているらしい「〈反〉知的独占」が出版された頃でした。特許制度に対する批判も知っておくべきとの思いから読んでみようと思いつつ、結局耳学問で終わってしまいました。私に、知財の「識者」はふさわしくないようです。かといって、「イノベーションの促進に寄与している」ということを受け売りして自己アイデンティティとするといった態度は私の性に合わないのです。

ハイエクは、「科学による反革命」の中で、「人類が自分の頭で理由を理解できない規則等をことごとく壊そうとしたら、その時ほど人類の存続が脅かされるときはない」といったようなことを言っています。これは、

人間は、全てを予見したうえで行動しているものではなく、各個体の様々な活動の中でうまくいくものが選択され、規則や慣習、習慣となっており、それらの全ての理由を通常意識せずに生活している。そのため、規則や慣習、習慣は、1人の人間の理性ごときよりもはるかに含蓄に富む可能性があるのであり、死守すべきものではないにせよ、侮ることなかれ、

という意味であると思います。

昨今の目まぐるしい世界の変化、技術の変化によって、特許法等の知的財産権法は今後も改正されていくと思いますが、どのような法制度になっていくのか、あるいはそもそも一部の法自体が破棄されるのか、私にはわかりません。しかし、事業者が、この変化の激しい時代を生き抜こうと暗中模索する際に、事業を有利に進めるツールの1つとして特許法を利用され、現に今、我々は、特許出願のご依頼をいただいており、私も一人の弁理士として実務に携わることで、事業者殿の生きざまの一端を垣間見させていただいております。

イノベーションの促進に寄与しているか否か等、難しいことはよくわかりませんが、弁理士として、そして何より実務家として、何を軸とするかと問われたら、私自身は、月並みながらもまず何よりもパテントエンジニアであることを軸としたい。昨今のフィーバーでAI関連出願に対する比較的しきいの低い状況はどこかで一段落すると思われ、その後、どうなるかは読めないものの、より専門性の高いご依頼が増えてくる可能性があると思われます。そういうわけで、今しばらく私は、AIの自習を最優先事項としようと思っております。深層学習の松尾教授が、テレワークで浮いた時間を使ってAIを勉強すべきとどこかで主張していましたが、まさに浮いた時間を使わせていただいております。

ご依頼をいただけた場合に、開発の魂と心を通わせられる可能性を高めるために。
拒絶理由対応で、知識不足のために本来なら妥協せずに反論できるところを気付かず妥協するリスクを減らすために。

1人1人の実務家、弁理士が、何を軸にするかとか、何を自習の対象とするかとか、AIの自習にどうアプローチするか、とかは人それぞれです。これは、各自が持ち味を生かすといった側面もありましょうが、一人一人の試みが、組織にとっての小さな試行錯誤といった側面もありましょう。何がうまくいくかわからない中で、試行錯誤の結果が当たったか否かは、知的財産関連の法の正当性といった難しいテーマと比較すると、見えた気になりやすいものです。私にとって、自分の「肉眼」で見えた気になれるのは、実務における試行錯誤の結果くらいではないかという気がします。

試行錯誤は、生物進化に例えると突然変異であって、無数の突然変異の中から選び抜かれたDNAが今の生命体の特徴であるように、組織が真に強みとすることができるのは、無数の試行錯誤から選び抜かれたものであると私は思います。とはいえ、生物進化における突然変異は、十中八九、一代で死に絶えるものに過ぎないことから、個人の試みの大半は、捨てさられるものでしょう。

ネット上で、キミスイの原作者が、ひどい言い方をすると、誰がいなくても社会は回っていく、でもだからこそ、個人の生き方が重要、といったようなことを言っていました。これを仕事に置き換えると、誰がいなくても組織は回っていく、でもだからこそ、個人の行動が重要、となりましょうか?

試行錯誤なくしては進歩がありえないのみならず、現代の生命体が試行錯誤の結果であるがゆえに必然性を伴っているような錯覚に陥るほどの機能性を身に着けているものの、実際には、偶然の行方によっては同じく高度に機能的な別の形態を有した生命体が現代の生命体でありえ、またおそらく淘汰されて今は亡き形態の生命体が現在の生命体の最終形態に影響を及ぼし得たといった点に鑑み、組織の将来のカラーが小さな試行錯誤の種類によって変わりうるということ以外には、「個人の行動が重要」である理由が今の私には見つかりません。別の色眼鏡を掛けてみれば、違う答えが待っているかも知れず、仕事をしていくうちに別の観点から何か見えてくるかもしれません。

ともあれ、このようなのんきなことを言っていられるほどの仕事をいただけている点で、そして、仕事の中で人の真摯な態度等に接する機会を与えていただいている点で、私は弁理士という職業に感謝しなければならないと思います。しかし、そもそも、仕事を継続できるのは、個体の健康と組織の健康あってこそ。一方、昨年は年明け後まもなくして、世界中が、個体や組織の健康を害するショッキングな出来事に見舞われました。どうか、皆様のご健康と、所属組織の健全な発展とをお祈り申し上げます。

 

以上