【判例研究】「比較例を実施例とする補正が新規事項の追加となるか」平成17年(行ケ)10607号 特許取消決定取消請求事件(知財高裁 平成18年6月20日判決)|パテントメディア|オンダ国際特許事務所

【判例研究】「比較例を実施例とする補正が新規事項の追加となるか」平成17年(行ケ)10607号 特許取消決定取消請求事件(知財高裁 平成18年6月20日判決)|パテントメディア|オンダ国際特許事務所

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【判例研究】「比較例を実施例とする補正が新規事項の追加となるか」平成17年(行ケ)10607号 特許取消決定取消請求事件(知財高裁 平成18年6月20日判決)

2013年9月
弁理士 戸部田 学

事件の概要

本件は、平成15年4月11日に設定登録された特許第3417228号(特許権者:宇部興産株式会社)について特許異議の申立て(異議2003-72844号事件)を受けた特許庁が同特許を取り消す決定をしたことから、特許権者である原告が特許取消決定の取消を求めた事案である。争点は、出願当初明細書に「比較例」と記載されていたものを「実施例」とする補正が新規事項の追加に該当するか、である。

手続の経緯
平成8年8月30日 出願
平成14年5月17日 手続補正(以下、「補正1」という。)
平成15年2月7日 手続補正
平成15年4月11日 設定登録
平成15年6月16日 特許掲載公報発行
平成15年11月21日 特許異議申立て(異議申立人 三簾 寛)
平成15年12月15日 特許異議申立て(異議申立人 尾谷 勉)
平成15年12月16日 特許異議申立て(異議申立人 山口 正夫)
平成16年9月28日 取消理由通知
平成16年12月7日 訂正請求
平成17年6月20日 特許取消決定
従来の技術及び課題の概要

リチウムを利用する非水電解液二次電池(リチウム二次電池)はリチウムを可逆的に吸蔵放出可能な材料を含む正極及び負極、リチウム塩を含む非水電解液、およびこれらを適切に保持、隔離する部材から構成される。

負極材料としてリチウム又はリチウム合金を用いた場合
→高電圧、高容量という優れた利点を有し、短絡しやすいという欠点を有する。

負極材料として炭素材料を用いた場合
→充放電を繰り返した際の容量の低下の度合いが小さい(サイクル特性が良い)という利点を有し、容量が小さいという欠点を有する。

負極材料として非晶質の酸化物もしくはカルコゲン化合物を用いた場合
→高容量という利点を有し、サイクル特性が悪いという欠点を有する。

本発明の課題は、リチウム二次電池のサイクル性を向上させることであり、特に、非晶質の酸化物もしくはカルコゲン化合物を負極材料に用いたリチウム二次電池のサイクル性を向上させることである。

特許請求の範囲
(1)訂正後の請求項

【請求項1】
環状カーボネートと非環状カーボネートとの混合物である非水溶媒と、リチウム塩とを含む非水電解液であって、1、2、3、4-テトラヒドロナフタレンおよびシクロヘキシルベンゼンからなる群より選ばれる化合物を非水電解液1kgあたり1g以上、50g以下の量にて含有するリチウム二次電池用非水電解液。

【請求項4】
容器内に、正極、負極、そして請求項1乃至3のうちのいずれかの項に記載の非水電解液が充填されているリチウム二次電池。

(2)出願当初の請求項(補正1による補正前の請求項)

【請求項1】
正極、負極、リチウム塩を含む非水電解液からなる非水電解質二次電池において、電池内に下記一般式(1)で表される化合物を含有させることを特徴とする非水電解液二次電池。
【化1】

【判例研究】「比較例を実施例とする補正が新規事項の追加となるか」平成17年(行ケ)10607号 特許取消決定取消請求事件(知財高裁 平成18年6月20日判決) | 2013年

一般式(1)においてR11はアリール基を、R12およびR13は水素原子、アルキル基、アルケニル基、アルキニル基、アラルキル基、アリール基、もしくは複素環残基を表す。R11,R12,およびR13は互いに結合して環を形成しても良い。

【請求項5】
負極が周期表1、2、13、14、15族原子から選ばれる三種以上の原子を含む主として非晶質のカルコゲン化合物または酸化物を含有する負極であることを特徴とする請求項1から4のいずれか1項に記載の非水電解液二次電池。

補正1における発明の詳細な説明の補正内容 (下線は、比較のために付した)
補正前(出願当初明細書) 補正後
【0030】
本発明の負極材料は周期表1、2、13、14、15族原子から選ばれる三種以上の原子を含む、主として非晶質のカルコゲン化合物または酸化物である。・・・
【0025】
本発明の負極材料は周期表1、2、13、14、15族原子から選ばれる三種以上の原子を含む、主として非晶質のカルコゲン化合物または酸化物であることが好ましい。・・・
【0062】~【0066】
・・・実施例-1 ・・・〔負極合剤ペーストの作成〕 負極材料;SnGe0.1 B0.5 P0.58 Mg0.1 K0.1 O3.35(・・・結晶性の回折線は見られなかった。)を200g・・・加えさらに混練混合し、負極合剤ペーストを作成した。・・・各々の電池缶内に電解液1から18をそれぞれ注入し、・・・円筒型電池(1から18)を作成した。
【0059】~【0064】
[実施例-1]・・・〔負極合剤ペーストの作成〕 負極材料;SnGe0.1 B0.5 P0.58 Mg0.1 K0.1 O3.35(・・・結晶性の回折線は見られなかった。)を200g・・・加えさらに混練混合し、負極合剤ペーストを作成した。・・・各々の電池缶内に電解液をそれぞれ注入し、・・・円筒型電池を作成した。・・・表2に、作成した電池の相対容量(・・・)およびサイクル性(・・・)を示した。
【0067】
実施例-2
負極材料として黒鉛粉末を用いる以外は実施例1と同様の方法で円筒型電池(電池番号1aから10a)を作成した。上記の方法で作成した電池について、電流密度4.8mA/cm2、充電終止電圧4.1V、放電終止電圧2.8Vの条件で充放電を繰り返し、各サイクルにおける放電容量を求めた。表2には作成した電池の相対容量(各電池の1サイクルめの容量を電池1の容量で規格化したもの)およびサイクル性(各電池の1サイクルめの放電容量に対する300サイクルめの放電容量の割合)を示した。
【0065】
[実施例-2]
負極材料として黒鉛粉末を用いる以外は実施例1と同様の方法で円筒型電池(電池番号1a、7a、8a)を作成した。・・・表3に、作成した電池の相対容量(各電池の1サイクル目の容量を表2の電池1の容量で規格化したもの)およびサイクル性(各電池の1サイクル目の放電容量に対する300サイクルめの放電容量の割合)を示した。
表2(下記参照) 表2を、その備考欄を削除すると共に、比較例と実施例を取捨選択して、次に示す新たな「表2」(段落【0066】)と「表3」(段落【0067】)にそれぞれ補正した。
【0069】
表2より一般式(1)で表される化合物を添加した場合サイクル性を向上する事がわかる。中でも例示化合物12、13、14、15、16、17、19、20を添加した場合その効果が著しい。例示化合物(12)について添加量の効果を見ると添加濃度が0.01重量パーセントの場合がサイクル性が良く好ましい。負極材料として黒鉛を用いた場合は初めから容量が小さい。また本発明の化合物を添加してもサイクル性の向上効果はわずかしかなく、総合的にみて本発明を応用した電池には性能が及ばない。
【0059】~【0064】
「表2と表3より、一般式(1)で表される化合物を添加した場合サイクル性を向上する事がわかる。例示化合物(12)について添加量の効果を見ると添加濃度が1重量パーセントの場合がサイクル性が良く好ましい。負極材料として黒鉛を用いた場合は初めから容量が小さい。

(補正前の表2) 【判例研究】「比較例を実施例とする補正が新規事項の追加となるか」平成17年(行ケ)10607号 特許取消決定取消請求事件(知財高裁 平成18年6月20日判決) | 2013年 (補正後の表2及び表3) 【判例研究】「比較例を実施例とする補正が新規事項の追加となるか」平成17年(行ケ)10607号 特許取消決定取消請求事件(知財高裁 平成18年6月20日判決) | 2013年

特許庁の判断の概要

補正1は、別紙1の【表2】の記載から、「本発明」(実施例を意味する)と「比較例」とを区別するために設けられた「備考欄」を削除するとともに、いくつかの具体例だけを取捨選択して、別紙2の【表2】、【表3】とすることなどを内容とするものであるが、決定において新規事項の追加であるとされたのは、補正1により、補正後発明には「負極材料が黒鉛の場合」が実施例として含まれるものとなるところ、「負極材料が黒鉛の場合」を実施例として含むような発明は、願書に最初に添付した明細書又は図面(以下「当初明細書」という。)に記載されていないから、補正1は、当初明細書に記載された事項の範囲内においてされたものではない(新規事項の追加に該当する。)というものである。

原告の主張の概要
  • 当初明細書の段落【0067】には、黒鉛粉末を用いた場合について「実施例-2」の表記がある。
  • 当初明細書の【表2】の備考欄の「〃」は誤記である。
  • 当初明細書の段落【0069】の説明は、すず化合物の効果を強調した記載にすぎない。
  • 当初明細書には、負極材料から「黒鉛などの炭素質材料」を排除する記載がない。
  • 当所明細書には、特許請求の範囲の記載、そして実施例と比較例に示された具体的なデータを考慮すれば、黒鉛が負極であるリチウム二次電池に当初発明の特定化合物を含む非水電解液を適用する技術思想が記載されていたと理解できるため、第三者が被告主張のような誤解をすることはあり得ない。
裁判所の判断
(1)実施例と比較例について

原告は、当初明細書の段落【0067】には、黒鉛粉末を用いた場合について「実施例-2」の表記があると主張する。しかし、当初明細書の段落【0062】に、「実施例-1」という見出しがあるが、段落【0062】~【0066】において、「円筒型電池(1から18)を作成した。」(段落【0066】)とあるように、【表1】及び【表2】の「電解液番号1ないし18」の場合が一体として説明されている。【表2】の備考欄においては、「電解液番号1」が「比較例」、「電解液番号2ないし18」が「本発明」とされているから、当初明細書において、上記「実施例-1」という見出しは、【表2】における「比較例」及び「本発明」のいずれも含むものとして用いられていることになる。
上記のように、当初明細書において「実施例」という見出しが【表2】における「比較例」及び「本発明」のいずれも含むものとして用いられている以上、「実施例」の見出しの下に、【表2】における「比較例」のみが説明されていても、何ら不合理ではなく、見出しに「実施例」とあることを根拠に【表2】の「電解液番号1aないし10a」の場合が実施例であるとする原告の主張を採用することはできない。

原告は、当初明細書の【表2】の備考欄の「〃」は誤記であると主張する。しかし、一般に、表に「〃」との記載があれば、その上部にある文字と同じであるとの意味に解されるから、当初明細書の【表2】では、「電解液番号1aないし10a」の場合が「比較例」であるとの意味に解するのが自然である。当初明細書の段落【0069】の記載とも整合することからすれば、当業者が当初明細書の記載に接した場合に、原告の主張するような技術事項を理解するとは考えられず、【表2】の「電解液番号2aないし10a」の備考欄の記載が誤記であるとまではいえない。

当初明細書の段落【0069】には、「電解液番号7a、8a」の場合を含む「負極材料として黒鉛を用いた場合」に関し、「負極材料として黒鉛を用いた場合は初めから容量が小さい。また本発明の化合物を添加してもサイクル性の向上効果はわずかしかなく、総合的にみて本発明を応用した電池には性能が及ばない。」との記載がある。この記載は、「負極材料として黒鉛を用いた場合」について、当初発明と比較した上で「本発明を応用した電池には性能が及ばない」という否定的評価を意味しており、【表2】の備考欄の記載が「比較例」とされていることと符合する。当初明細書の負極材料に関する前記各記載及び【表2】の記載を全体としてみれば、「負極材料として黒鉛を用いた場合」は、当初発明よりも劣る結果が出る「比較例」と解するのが自然であり、このような否定的な具体例を当初発明の実施例と解することは、当初明細書の記載に接した当業者の理解の範囲を超えるものである。 なお、原告は、当初明細書の段落【0069】の説明は、すず化合物の効果を強調した記載にすぎず、本発明の二次電池の負極材料から「黒鉛」を排除するものではないと主張するが、上記説示したところに照らし、採用することができない。

以上のとおり、「電解液番号7a、8a」の場合の具体例は、当初明細書の前記記載からみれば、当初明細書の【表2】の記載のとおりに「比較例」を意味すると解するのが自然である。したがって、補正1によって、「電解液番号7a、8a」の場合という新たな「実施例」を追加することとなるから、この補正が新規事項の追加であると判断した決定に誤りはない。

(2)負極材料の限定の有無について

原告は、当初明細書には、負極材料から「黒鉛などの炭素質材料」を排除する記載がないと主張する。
しかし、前記のとおり、当初明細書の負極材料に関する記載及び【表2】の記載を全体としてみれば、「負極材料として黒鉛を用いた場合」は、当初発明よりも劣る結果が出る「比較例」と解するのが自然であるのに対し、当初明細書には、当初発明で対象となる電池として「黒鉛などの炭素質材料」を負極材料とする場合も含むものと解することができるだけの根拠が見当たらないのであり、特許請求の範囲の記載が「負極」の材料を限定していないとしても、負極材料が黒鉛の場合は「比較例」であって、「実施例」ではないとの前記3の結論を左右するものではないから、原告の主張は失当である。

(3)第三者の不利益について

原告は、第三者が被告主張のような誤解をすることはあり得ないから、不利益を被ることはない旨主張する。 しかし、原告の主張は、その主張する前記誤記が当業者に明白であることを前提とするものであり、この前提が認められないことは前記のとおりであるから、この主張を採用することはできない。当初明細書において当初発明に属しない具体例(比較例)とされていたものが、当初発明に属する具体例(実施例)とされたならば、第三者が不測の不利益を被ることは明らかである。

まとめ

(1)出願当初明細書に「比較例」と記載していたものを特許請求の範囲に含める補正は「新規事項の追加」と認定される可能性が高い。とくに、「比較例」に対して否定的評価が記載されている場合には、「新規事項の追加」と認定される可能性が極めて高い。このため、明細書中で「比較例」などの文言を使用する場合には十分な検討が必要である。とくに、特許文献等の文献に明示されていない技術を明細書に記載する場合には、「比較例」とするのか、「変形例(実施例)」とするのかについて慎重に検討する必要がある。
将来的にクレームアップする可能性が少しでもある技術については、「比較例」として記載するのでなく、「参考例」や「変形例」として記載しておくことが好ましい。さらに、その「参考例(変形例)」として記載した技術に関して[従来技術]に対する効果を記載しておくことが好ましい。

(2)拒絶対応時にクレームの範囲から外れた「実施形態」を「比較例」に補正した後、補正することができない時期(拒絶査定又は特許査定後)に分割出願する場合には、分割出願する際に「比較例」を「実施形態」に戻せなくなる可能性があるため注意が必要である。

以上