【判例研究】銅ニッケル合金部材-侵害無効事件|判例研究/レポート|特許業務法人オンダ国際特許事務所

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【判例研究】銅ニッケル合金部材-侵害無効事件

2015年9月29日掲載
弁理士 佐橋信哉

1.今回の事例

平成 24年 (ワ) 15612号(東京地裁 平成26年10月9日判決)

争点:特許法第36条4項1号(実施可能要件)の要件を満たしていないとして、特許法第104条の3の規定により権利行使が制限された事例

2.事件の概要

特許権侵害差し止め等請求事件 原告(特許権者):日鉱金属株式会社(現:JX日鉱日石金属株式会社)
特許権:特許第4255330号
発明の名称:疲労特性に優れたCu-Ni-Si系合金部材
被告:三菱電機メテックス株式会社

3 本件特許権

(1)[請求項1]

A:質量百分率(%)に基づいて(以下,%と表記する)Ni:1.0~4.5%,
B:Si:0.2~1.2%を含有し,
C:残部がCuおよび不可避的不純物から成る銅合金からなり,
D:表面に66~184MPaの圧縮残留応力が存在し,
E:表面の最大谷深さ(以下,Rvと表記する)が0.5μm以下であり,
F:圧延方向に平行な断面を鏡面研磨後に,47°ボーメの塩化第二鉄溶液で2分間エッチング後,観察面において観察される直径4μm以上の介在物が86個/mm²以下であることを特徴とする
G:Cu-Ni-Si系合金部材。

※構成要件Fがポイント

(2)本件特許の明細書の記載(構成要件Fと関連する部分)

【発明が解決しようとする課題】
【0004】
このため、Cu-Ni-Si系合金においても疲労特性のさらなる改良が求められるようになってきている。
一般的には合金の強度を高めると、疲労強度が向上する。Cu-Ni-Si系合金は析出強化型銅合金であり、圧延加工度を高くするかまたは強度の増加に寄与する析出物の量を増加させれば強度は増加するが、この高強度化による疲労特性改善には限界があった。
本発明の目的は、コネクター等の電子材料に利用される高強度銅合金であるCu-Ni-Si系合金の疲労特性を改良することにある。・・

 【0009】
(3)介在物

この合金系は析出硬化型であるため、マトリックス中に析出物が存在する。この合金に必要な強度を得るための析出物は微細であるが、4μmを超える粗大な析出物、晶出物等の介在物は強度に寄与しないばかりか、特に大きさが10μmを超える粗大なものは曲げ加工性、エッチング性、めっき性を著しく低下させ、クラックの伝播を促進させる原因と考えられ、疲労寿命が低下する
ここで本発明において、「介在物」とは、鋳造時の凝固過程に生じる一般に粗大である晶出物並びに溶解時の溶湯内での反応により生じる酸化物、硫化物等、更には、鋳造時の凝固過程以降、すなわち凝固後の冷却過程、熱間圧延後、溶体化処理後の冷却過程及び時効処理時に固相のマトリックス中に析出反応で生じる析出物であり、本銅合金のSEM観察によりマトリックス中に観察される粒子を包括するものである。
「介在物の大きさ」および「介在物の個数」は例えば以下の手順で測定される。・・大きさが4μmを超える介在物の個数が86個/mm²を超えると疲労強度が著しく低下する。そこで4μmを超える介在物の個数が86個/mm²以下となるように規定する。

【0019】
時効処理は所望の強度及び電気伝導性を得るために行うが、時効処理温度は300~650℃にする必要がある。300℃未満では時効処理に時間がかかり経済的でなく、650℃を越えるとNi-Si粒子は粗大化し、更に700℃を超えるとNi及びSiが固溶してしまい、強度及び電気伝導性が向上しないためである。300~650℃の範囲で時効処理する際、時効処理時間は、1~10時間であれば十分な強度、電気伝導性が得られる。
なお、本発明の銅合金において、更に強度を向上させるため、時効処理後に冷間圧延し、その後熱処理を行うことも可能である。

【0029】
(2)実施例2
表2に示す組成に各種成分に調整した銅合金を実施例1と同じ製造条件で製造した。なお、各試料とも表面に圧縮(負)の残留応力(-100~-150MPa)を与え、Rv=0.3~0.4μm、大きさが4μmを超える介在物個数を100個/mm²以下に調整した
【0030】
【表2】
【判例研究】銅ニッケル合金部材-侵害無効事件 | 2015年

【0035】
(4)実施例4
組成をCu-2.53%Ni-0.48%Si-0.16%Mgに調整したCu-Ni-Si系合金について、実施例1と同じ条件で0.2mmまで加工した。なお、4μm以上の介在物の個数が異なるように熱間圧延前の加熱温度、溶体化処理の温度を調整した。各試料のRvは0.4~0.5μmの範囲、残留応力は、-70~-80MPa(圧縮残留応力)の範囲に調整した。
【0036】
【表4】
【判例研究】銅ニッケル合金部材-侵害無効事件 | 2015年

【0037】
表4に付加応力σを500MPaとしたときの疲労寿命を示す。介在物の個数が86個/mm²を超えると疲労寿命が低下することがわかる。

4.被告製品

被告製品の構成を本件発明の構成要件に対応させると,次のとおりである。
a:質量百分率(%)に基づいて(以下,%と表記する)Ni:2.2~3.2%,
b:Si:0.4~0.8%を含有し,
c:残部が主としてCuから成りSn,Zn,Ag及びBを含む銅合金からなり,
d:表面に75MPaの圧縮残留応力が存在し,
e:表面の最大谷深さ(以下,Rvと表記する)が0.5μm以下であり,
:圧延方向に平行な断面を鏡面研磨後に,47°ボーメの塩化第二鉄溶液で2分間エッチング後,観察面において観察される直径4μm以上の介在物が0個/mm²であり,導電率が41%IACS以上であることを特徴とする
g:Cu-Ni-Si系合金部材。

5.当事者の主張(要約)
(1)被告製品が本件発明の技術的範囲に属するか。

(イ)原告:日鉱金属の主張
被告製品の直径4μm以上の大きさの介在物個数は0個/mm²であり,これは文言上86個/mm²以下の範囲内であるから,構成要件Fを充足する。本件明細書の発明の詳細な説明の記載によれば,直径4μm以上の介在物の個数が少なくなればなるほど疲労寿命が長くなり,介在物個数0個/mm²のときは最も疲労寿命が長くなることが当然に理解されるのであるから,0個/mm²が86個/mm²以下の範囲内に含まれることは本件明細書の記載によっても明らかである。

(ロ)被告:三菱電機メテックスの主張
本件発明は,直径4μm以上の介在物が相当数あることを前提に,その上限を86個/mm²以下と規定したものであるから,介在物が存在しない構成は含まれない。・・サポート要件の観点を加味して解釈するならば,「86個/mm²以下」とは,「86個/mm²以下であって,かつ,およそ86個/mm²」を意味し,どんなに原告に有利に解釈しても,本件明細書に開示されている実施例の下限である25個/mm²が限界である。

(2)本件発明に係る特許が特許無効審判により無効にされるべきものと認められるか

(イ)被告:三菱電機メテックスの主張
本件発明において圧縮残留応力,最大谷深さ及び介在物の個数の各数値範囲を限定した理由が本件明細書の記載内容からは理解することができないし,各パラメータ間の相互関係も不明である。本件明細書は,例えば,残留応力の数値範囲を決定するに当たり,疲労寿命に影響を与えるパラメータである介在物個数を「100個/mm²以下」と極めて曖昧な条件のもとで実験を行い,数値範囲を決定したという誤りを含んでおり,そこから得られた残留応力の数値限定には何ら技術的意義が認められない。・・
さらに,本件発明の構成要件Fにおいて,介在物が存在しないものも含むと解釈されるのであれば,本件明細書において開示されている介在物個数の下限は25個/mm²であり,直径4μm以上の介在物個数0~25個/mm²未満の範囲をサポートする発明例がないため,この範囲において本件発明の効果を奏するか不明である。そして,サポート要件違反の裏返しとしての実施可能要件違反もある。

(ロ)原告:日鉱金属の主張
本件発明は,コルソン合金における圧縮残留応力,最大谷深さ及び介在物の個数と疲労寿命との相関関係の存在が知られていなかったところ,これを実験的に解明して顕著な効果が表れる数値範囲を特定したものであり,臨界的意義が問題になる事案ではない。金属疲労については相対的な評価しかできないところ,実験条件において介在物個数を厳密に同一にしなくても,圧縮残留応力と疲労特性との関係である程度の相対評価は可能である。・・
さらに,直径4μm以上の介在物個数については,本件明細書において開示されている発明例の傾向から,直径4μm以上の介在物が少ないほど疲労寿命が長くなることが当然に理解されるし,直径4μm以上の介在物個数を減少させるための時効処理の温度等の諸条件については,本件明細書の発明の詳細な説明の段落【0019】に詳しく記載されている。

6.裁判所の判断(要約)
(1)構成要件Fについて(充足するか否かについて)

被告製品の直径4μm以上の大きさの介在物個数は0個/mm²であり,これは86個/mm²以下の範囲内であるから,被告製品は,構成要件Fを充足する。
被告は,サポート要件の観点を加味して解釈するならば,「86個/mm²以下」とは,「86個/mm²以下であって,かつ,およそ86個/mm²」を意味するなどと主張する。確かに,サポート要件違反に係る被告の主張は,以下のとおり理由があるが,そうであるとしても,構成要件Fは,「直径4μm以上の介在物が86個/mm²以下である」と一義的に明確に定めているのであって,これを,「およそ86個/mm²」であるとか,「25個/mm²以上86個/mm²以下」であると限定して解すべき必要もないし,解するのを相当とする理由もない。被告の主張は,採用することができない。

(2)本件発明に係る特許が特許無効審判により無効にされるべきものと認められるか

本件発明に係るCu-Ni-Si系合金は,析出硬化型,すなわち,Cuからなるマトリックス中に,NiとSiの金属間化合物からなる析出物を微細に析出させることにより,導電率の低下を抑えつつ強度を大幅に向上させた合金であるところ,直径「4μmを超える粗大な析出物,晶出物等の介在物は強度に寄与しないばかりか,特に大きさが10μmを超える粗大なものは曲げ加工性,エッチング性,めっき性を著しく低下させ,クラックの伝播を促進させる原因と考えられ,疲労寿命が低下する。」(段落【0009】)ため,介在物の個数を調整する必要があること,本件明細書の発明の詳細な説明には,実施例4について,「4μm以上の介在物の個数が異なるように熱間圧延前の加熱温度,溶体化処理の温度を調整した。」(段落【0035】)と記載され,【表4】に,直径4μm以上の介在物個数が25個/mm²の試料,47個/mm²の試料及び86個/mm²の試料の3つの本発明例と125個/mm²の試料及び150個/mm²の試料の2つの比較例が列記され(段落【0036】),「表4に付加応力σを500MPaとしたときの疲労寿命を示す。介在物の個数が86個/mm²を超えると疲労寿命が低下することがわかる。」(段落【0037】)と記載されていることが認められる。
本件明細書の発明の詳細な説明における介在物個数の調整方法に関する記載について、本件明細書の発明の詳細な説明には,【0009】介在物のうち晶出物及び析出物について,段落【0019】との記載があることが認められ,これによれば,時効処理温度及び時間につき,粗大な晶出物及び析出物の個数を低減させる方法についての一定の開示があるということができる。
しかしながら,溶解時の溶湯内での反応により生じる酸化物,硫化物等については,本件明細書の発明の詳細な説明に,直径4μm以上の介在物個数を低減させる方法の開示は全くない
そして,本件明細書の記載内容及び弁論の全趣旨からすれば,原告が本件特許出願時において直径4μm以上の全ての介在物個数を0個/mm²とするCu-Ni-Si系合金部材を製造することができたと認めるに足りず,技術的な説明がなくても,当業者が出願時の技術常識に基づいてその物を製造できたと認めることもできない
そうすると,本件明細書の発明の詳細な説明には,特許請求の範囲に記載された数値範囲全体についての実施例の開示がなく,かつ,実施例のない部分について実施可能であることが理解できる程度の技術的な説明もないものといわざるを得ない。
したがって,本件発明は,特許請求の範囲で,粗大な介在物が存在しないものも含めて特定しながら,明細書の発明の詳細の説明では,粗大な介在物の個数が最小で25個/mm²である発明例を記載するのみで0個/mm²の発明例を記載せず,かつ,全ての粗大な介在物の個数を低減する方法について記載されていないことなどからすれば,本件明細書の発明の詳細な説明は,本件発明の少なくとも一部につき,当業者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであるとはいえない
被告製品は、本件発明の技術的範囲に属するが,本件特許は特許無効審判により無効にされるべきものと認められるから,原告は,特許法104条の3第1項により,本件特許権を行使することができない。

<まとめ>

・特許性について審査段階を考慮した36条の回避のみならず、侵害段階を考慮した実施例データの取得が必要(侵害段階では、介在物の個数について、上限(86個/mm²以下)よりも、下限(0個)の方が重要であった)。

<参考1>

『偏光フィルム』事件大合議判決:平成17年(行ケ)第10042号(知財高裁平成17年11月11日)
特定の数式を含むパラメータ発明において、「二つの実施例と二つの比較例との間には,式(I)の基準式を表す上記斜めの実線以外にも,他の数式による直線又は曲線を描くことが可能であることは自明であるし,そもそも,同XY平面上,何らかの直線又は曲線を境界線として,所望の効果(性能)が得られるか否かが区別され得ること自体が立証できていないことも明らかであるから,上記四つの具体例のみをもって,上記斜めの実線が,所望の効果(性能)が得られる範囲を画する境界線であることを的確に裏付けているとは到底いうことができない。」とし、サポート要件に適合しない旨を判示する。

なお、上記判例、参考1の判例に示すように、原則的には、当初明細書に実施例データは必要だが、逆に参考2の各判例に示すように、実験データが少なくとも36条が回避された判決例も存在する。

<参考2(実験データが少なくとも36条が回避された判決例)>
(1)知財高裁平成20年(行ケ)第10065号(経口投与用吸着剤事件)

請求項において「細孔容積が0.25mL/g未満」の規定に関し、実施例では、細孔容積が0.04,0.06mL/gのみ規定されていた。
「・・本件特許明細書には,当業者が適宜の設定をすることが可能であることを示唆する記載があり,しかも,選択吸着能は,(細孔容積が極小の場合を除き)その減少に応じて漸次発現する特性がある旨の知見が公知であることを併せ考慮すれば,当業者は,本件特許発明の規定する細孔容積の条件について,それ自体厳密な意味における臨界的な意義を有するというよりも,選択吸着率を優れたものとするために孔径の大きな細孔を少なくすべきことを表現し,そのための一つの目安として『0.25mL/g』との数値を規定したものとして理解することができるから,明細書の記載上,上記数値の意義が明らかにされていないとしても,当業者において本件特許発明の課題を解決できることについて認識できないということはできない。・・」と判示する。

(2)知財高裁平成20年(行ケ)第10484号(無鉛はんだ合金事件)

「(裁判所の判断)・・数値限定に臨界的な意義がある発明など,数値範囲に特徴がある発明であれば,その数値に臨界的な意義があることを示す具体的な測定結果がなければ,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できない場合があり得る。
しかし,・・本件発明1の特徴的な部分は,『Snを主として,これに,CuとNiを加える』ことによって『金属間化合物の発生が抑制され,流動性が向上した』ことにあり,CuとNiの数値限定は,望ましい数値範囲を示したものにすぎないから,上記で述べたような意味において具体的な測定結果をもって裏付けられている必要はないというべきである。」

以上