【社内活性化の原点】小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり|お知らせ|オンダ国際特許事務所

【社内活性化の原点】小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり|お知らせ|オンダ国際特許事務所

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【社内活性化の原点】小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり

(パテントメディア 2012年5月発行第94号より)
会長 弁理士 恩田博宣

1.はじめに

中国の昨年の出願件数の速報が入りました。2011年1月~12月の発明52.6万件、実用新案58.5万件、意匠52.1万件、合計年間163.2万件になります。すさまじいエネルギーだといえます。産業財産権の出願件数はある意味では国力を表していますから、どんどん減りつつあるわが国の出願件数を思うとき、何か対策はないものかと思案されます。
さて、京セラの名誉会長稲盛さんは、わずか2年足らずで日本航空の会長としてその業績を黒字転換させただけではなく、最新鋭の飛行機を200機も新規に発注するという攻めの姿勢に転じられました。その稲盛語録の中に「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」があります。多分、中国の古典に出てくる格言だと思われるのですが、調べてみても明らかになりませんでした。
最近の世相を見るに、あまりにも小善が大悪に至るケースが多いのに気付きました。思い浮かぶまま、小善=大悪、大善=非情について、述べたいと思います。

2.税金を払う

多くの経営者は、「税金を払うよりは、従業員に給与やボーナスをたくさん支給してやりたい」と考えます。もちろん、自分の収入を増やすことも考えるでしょう。

その結果、事業で多くの利益が上がった場合にも、ボーナスを増額し、昇給を多くして、費用計上し、税金の支払いを減らすということが行われます。事業所の利益は減り、税金は少し支払うだけでよくなります。利益の約半分が税金として持っていかれるのですから、経営者がこう考えるのも無理はないのです。
従業員は喜び、幸せを感じます。従業員の待遇をよくできた経営のトップはそのことを誇りに感じます。「当社はボーナスを本給の6か月分支給できた」等と誇らしげに語ることができます。経営者も従業員もウイン・ウインで、まさに善行に当たります。好景気が続き、毎年、毎年多額の利益が上がるときは、問題は生じません。しかし、この行いは小善であって、大悪につながるのです。

その影で起こっていることは、社内の内部留保、すなわち、貯蓄はできません。会社としての蓄えができていかないことになるのです。そうすると2008年のリーマンショックのようなパニックがおこり、一気に景気が暗転し、仕事がなくなり、会社としての収入が激減しますと、会社の内部留保がないので、給与の支払いにも事欠くことになります。いきなり給与カット、リストラへと進まねばなりません。最悪のときは会社倒産ということにもなりかねません。会社に利益を計上せず、ボーナスで費用化してしまうのは、小善であるといえます。その結果不景気になって起こる給与カットやリストラは、大悪といえましょう。

経営者にとって、多額の税金を支払うよりは、従業員の喜ぶ顔を見たいというのが本音です。従業員側から見ても、「そんなに利益があるのならば税金なんか払わずに、俺たちに支給してくれればいいのに」という感情も当然ながらあるわけです。それをボーナスの増額をほどほどにして、税金を多額に払うのは、ある意味では従業員に対して、情け容赦ない「非情」となるわけです。不景気に備え、景気のよいときに税金をたくさん払い、その額と同じだけの蓄えを積み増しておく。そうすれば、収益が大幅に悪化しても、リストラもすることなく、ボーナスもほどほどに支払い続けられることができるというわけです。これが大善となるのです。

筆者は若い頃、コンサルタントの先生から、「税金をできる限り払え」と教えられました。できる限り実行してきました。その効果は理論的には理解できても、実感はできませんでした。開業してから当分の間は、ボーナスの支払いと税金の支払いのときは、必ず銀行から借金をしなければなりませんでした。税金を払い続けるうちに、借りる金額が減り、やがて借りずに済むようになりました。そして、今回のリーマンショックでは、その効果を心から実感させられました。仕事がなくなり、収入が激減する中、大変な不安感があったのですが、給与カットはなしで、ボーナスもそれほど減らすことなく、通過できたのです。リーマンショックの後遺症はまだあるのですが、仕事量も徐々に回復しつつあり、不安感も減りつつあるのです。

3.子育て

子育てにも小善と大善の例を見ることができます。子供が「お菓子を買って」といいます。「100円のスナックならいいか」と買い与えます。子供は嬉しそうにします。それを見た親も幸せな気分です。小善の始まりです。外出のたびに買い与えますと、子供はそれを当然の権利のように思い始め、あまり嬉しくなくなります。菓子は当然として、やがて携帯電話になり、ゲーム機になり、バイクになり、自動車にまでエスカレートします。買い与えたときは子供は嬉しそうにします。しかし、それもつかの間、慣れっこになって、次から次へと要求が出てきます。わがまま一杯の人間になっていきます。社会人として就職しても、わがまま一杯で、失敗を人のせいにして、協調して仲間と仕事することができません。その企業からはじき出されてしまいます。どこへ何回就職しても、うまく行きません。社会の厄介者として惨めな人生を送ることになってしまうのです。まさに小善が大悪に転じてしまったといえます。

筆者の中学の同級生H君は裕福な家庭に育ちました。しかし、早く母親が亡くなったために、後妻のお母さんに育てられました。お母さんはそれはそれは優しい人でした。継母なのだから世間様に後ろ指を指されてはいけないと、優しくH君を扱いました。H君の要求はよほどでない限り聞き入れました。

小学校の頃学級委員をつとめ、ハンサムでスポーツ万能でとても優秀な子でした。中学、高校と進むうちにわがままが目立つようになりました。旧友の信頼もなくなっていきました。成績も落ちていきました。成人し自宅の事業を引き継ぎましたが、うまく行きませんでした。結婚しても長続きせず、離婚しました。3回は結婚・離婚がありました。数年前に何十年ぶりかに筆者を訪ねた用件が「金を貸して欲しい」というものでした。継母の優しさが小善と大悪を生んだといえます。
しかし、親がけじめ正しく育てたとします。例えば、お菓子を買うにも、2回に1回はがまんさせたり、バイクの代わりに自転車でがまんさせたり、アルバイトさせて足りない分の一部を親が援助してやって、中古車を買うようにしたりします。子供にとってはまさに「非情」です。すると子供は、「友達はみんな○○を持っている。なんで僕だけ買ってもらえないのか」等とたくみに親に小善を仕掛けてきます。親は買ってやりたい誘惑に駆られます。実は子育ては、親の忍耐にもかかっていることになるのです。

こうして忍耐強く正しい判断ができるように育つと、その子は立派な社会人として、やっていけることになります。さらに、お手伝いを多く経験した子は感性が豊かになります。そうすると何事も先回りしてできる人材に育つのです。まさに「大善」です。

筆者が育った終戦直後の頃は、日本全体が貧しい暮らしでした。筆者の家庭は特に農家で非常に貧しい暮らしでした。従って、「ジュースを買ってほしい」とせがんでも、「無い袖は振れない」のです。それは結局、子供のがまん・忍耐につながりました。当時50銭のみかん水(今なら50円のジュースでしょうか)を母親に「買ってくれ」とせがんだことがありました。しかし、母親は頑として拒否しました。「みんな買ってもらっているのに」と情けない思いをしたのです。当時の環境そのものが教育にきわめて有効であったわけです。おかげで多少の忍耐ができる性格にしてもらえました。時代背景が「大善」を作ったともいえましょう。

現在だと100円のスナックを「買ってくれ」とせがまれたとき、どの親にもポケットにはその程度のお金はあるので、つい甘やかして買い与えてしまうことが起こります。教育環境にはよくないようです。時代背景は「小善」を向いているようです。

4.減税

議会制民主主義の国では、議員が次なる選挙で1票をもらうために、一般民衆に媚びて、減税等人気取り政策を行います。多くの補助金もそうです。民主党の子供手当もそうです。そして、税収以上の予算が組まれることになります。それを埋めるのが国債、地方債です。その国債、地方債がどんどん増えて、GDPの213%にまでなってしまったのが、日本の今の姿です。減税が行われ、各種補助金や手当てが国民にばら撒かれ、豊かに暮らすことができるので、国民は嬉しいと感じます。まさに「小善」です。

しかし、税収が40兆円しかないのに、50兆円もの国債が発行されて、国としての借金は際限なく、膨らんでいきます。一般家庭が40万円の収入しかないのに、90万円の生活をするために、毎月50万円ずつ借金をしていたならば、長続きしないことは、小学生でも理解できることです。しかし、国が議会制民主主義だと、この理屈を理解して、40万円の範囲内で生活しようという発想は出てこない、という摩訶不思議があるのです。

その結果起こることは、ギリシャの経済破綻です。まだユーロ各国が援助をして、デフォルトを防いでいますが、ギリシャ国民の生活はどん底に落されつつあります。これまさに「小善は大悪に似たり」です。もし、ユーロ諸国の援助がなければ、ギリシャ国民の生活は今よりもっともっと過酷なものとなることも明らかです。しかし、ギリシャでは国民がデフォルトを防ぐための施策を、ゼネストまで仕掛けて反対しています。これもばかげた話です。完全デフォルトに至ったならば、今の生活すら維持できないことになるのが明らかなのに、ゼネストまでやって、そちらへ向かおうとしているのですから。開いた口がふさがりません。

確かに猿が木から落ちても猿ですが、議員が選挙に落ちれば議員でいられません。なんでもなくなってしまうのです。議席にこだわることを理解できないわけではありません。

しかし、今の政界をみるとき、日本の将来を考えるより政権をいかにして奪取するか。いかに自分の議席を守るかしか考えない議員の姿しか見えません。野田首相が不退転の決意で消費税増税を目指しているのに、「消費税をやっては選挙に勝てない」と、与党の中からも反対の議員が続出する始末です。現在の状況が続く限り、確実にギリシャと同じ状況がやってくることが、見えないのでしょうか。年金受給者が増え続け、それを支える若者は減るばかりです。毎年一兆円ずつ増え続ける社会保障費をどう捻出するのでしょうか。

議員定数不均衡についても、違憲判決が出ているにもかかわらず、党利党略にこだわった議員のわがままで一歩も進まない状況です。何も決められない日本の政治。迷惑をこうむるのは国民です。

本年2月半ばに円の対ドル、対ユーロのレートが下がり始めました。あっという間に米ドルは1ドル80円台に載せました。単なる円安ではなく、国債の金利もわずかですが上がり始めたのです。日本のギリシャ化が始まっているのではないかと危惧されます。

何らかの対策が早急に実行されない限り、日本にも遅かれ早かれギリシャと同じ状況がやってきます。現在の小善は大悪となるのです。それを防ごうとするのならば、今日直ちに消費税25%程度に上げるという「非情」を実行しなければならないと思います。

5.製造業派遣禁止

製造業の派遣禁止法案は、リーマンショック後の雇用不安を解決しようとして、民主党、国民新党が提案したものだったのですが、実質的には廃案になり、ごく一部日雇いの派遣についてのみ禁止ということになりそうです。
もし、製造業全面派遣禁止ということになっていたら、一体どういうことになっていたのでしょうか。

ごく一部の派遣労働者は正規雇用されて、給与も上がり幸せです。これが「小善」になります。なぜか。企業はボランティアではないのです。企業存続の条件として、利益を出さなくてはなりません。利益の出なくなった企業は消えていくしかないのです。そのために支払うことのできる人件費は、限られています。作業効率を上げるための努力も、極限まで行われるでしょう。しかし、それにも限度があります。企業が生き延びるためには、利益の上がる外国へ立地を移すという有力な手段も選択枝の中に入ざるを得ません。その数が多くなれば、正規雇用だけではなしに、派遣による雇用すらなくなってしまうのです。これぞ「大悪」といえます。

現在、円高、電力不足、高い電力料金、人件費高、何も決めない政治、労働規制、法人税高、自由貿易協定への対応の遅れ、温暖化ガスの25%削減、ユーロ危機等、企業が直面する問題は多岐にわたります。そして、これらの原因で多くの企業が、なだれを打って海外移転をしています。どの企業も国内の雇用を確保するために、国内に残った方が社会貢献になることは、十分理解しています。しかし、まず生き残ることが先決です。生き残った上で余裕があるときだけ、国内の雇用を考える余裕があろうというものです。もし、国内雇用にこだわって、企業そのものを潰してしまうようなことがあったならば、それこそ「大悪」になります。だから、国内雇用を軽視しても海外展開をせざるを得なくなるのです。
米国も法人税25%へ引き下げるという施策を打ち出しました。ひとり日本のみが、実効税率40%を越える法人税が継続されています。企業が存続し、その利益が上がって始めて、給与を始めとする従業員の待遇を改善することができるのです。企業を潰してしまったり、外国へ追いやってしまったりしては、職場が減り、日本人全体の所得は減るばかりです。確かに震災の復興に予算が必要なことは理解できますが、それを理由として、法人税率を現行のまま保つことは、「小善」になってしまうといえます。

なぜならば、結果として企業の海外移転がますます増加します。中小企業には廃業や破綻も多くなるでしょう。そうすると、優良企業数(力のない不良企業や中小零細企業は海外展開ができない)の減少による税収減の額の方が、法人税率を保つことによる税収確保額より大きくなってしまう可能性が高いからです。一体何のための法人税率維持かということになってしまいます。まさに「大悪」といえます。

一方、税収を確保するための法人税減税は、一般民衆から見たとき、「この税収不足のとき、ましてや大震災の復興を最優先しなければならないのに、なぜ減税か」「消費税上げて、法人税減税はないだろう」という声が起こりそうです。確かに一見、一般民衆にとって「非情」に見える法人税減税ですが、企業の海外移転や中小企業の消滅による雇用の喪失、それに基づく一般民衆の所得の減少という影響を考えれば、「非情」は「大善」にもなりうるのです。

6.QCサークル活動

当所は26年間にわたってQCサークル活動を継続しています。その成果も顕著なものがあります。長期間継続してきて本当に良かったと思っています。
仕事の品質をアップするためのQC活動も多く行われたのですが、それをいくらの利益というように直接金額評価することはできません。この品質アップの活動を除いて、節約額を計算できる活動だけでも、累積してみると多額になっています。おおよそ当所が従業員に支払うボーナスの額にも匹敵するのです。
しかし、この多大な成果を挙げているQCサークル活動にも紆余曲折があったのです。

今から10年ほど前、QCに関するアンケートを従業員から取ったことがありました。ほとんどの従業員はQC反対。「QCに使う時間を明細書や図面作成に使った方が、能率が上がる」という理由でした。
筆者は「これほどいやがるQCは止めようか」と実際に悩みました。もし、そのときやめていたとするならば、大悪を演ずるところでした。従業員は負荷が減りますから、仕事が楽になり、一時の幸せを感じます。小善です。

そのとき大企業の知財部長を経験された方から「QCを熱心に推進している会社でも、従業員にQCをやるかやらないかのアンケートを取れば、やめよという者の方が多いに決まっている。それを経営トップの強い意志で引っ張っていくのがQCだ」と言われたのです。考え直してやり続けました。従業員にとっては、余分にいやなQC活動を続けなければならないので、「当所のトップは情け容赦もない」ということになります。まさに「非情」です。

その結果、能率アップで残業時間を減らすことができたり、仕事がやりやすくなったり、仕事の正確性が高まったり、人件費の高騰が抑制できたり、コミュニケーションがよくなったり、団結力が高まったり、その上に節約効果が前述のように、ボーナスの額にもなったのですから、成果は絶大だといえるのです。従業員にとってもいいことばかりです。非情は大善に至るのです。
なお、QCの最後の工程では、歯止めをかけ、成果が継続するようにしますので、節約額は累積的に増大するのです。QCをやったときだけではなしに、その後も継続して効果を発揮するのです。

例えば、筆者の事務所において、国際管理部外内グループの過去の活動の中に、次のような活動がありました。6人体制でやっていたのですが、1人産休を取ることになりました。何とか5人でできないものかという課題を、QC活動で取り上げました。すさまじいまでの工夫と対策を打ち、やりきったのです。節約額年間600万円にも登りました。その能率はそのQC期間だけではなしに、その次の期も、その次もと、ずっと続くのです。時には尻切れトンボになることもあるのですが、筆者の事務所では歯止めは80%かかっています。

この活動を始める頃、6人でも毎日のように午後10時頃まで残業しなければならないほどの忙しさでした。通常なら「こんなに忙しいので、QCは勘弁してください」という要求が出てきそうです。しかし、筆者は「だめだ。どうしてもやれ。時間がないなら寝ずにやれ。」と、情け容赦なく命令しました。非情です。QC活動を見事にやりきったとき、そのリーダをつとめた所員から、「あれだけ忙しかった仕事が、QCでスコンと楽になるんですよ。QCってやらないといけませんね。」との感想が聞けたのです。楽になるといってもせいぜい40分程度の残業短縮だったのですが。これぞ大善と大見得を切ることができます。

7.工学部志望者減

筆者は出身校である岐阜高校の評議員を務めたことがありました。県下から優秀な生徒を集めた高校ですが、毎年多くの大学から教授が来られて、大学の特徴等を説明する学部説明会があるのですが、それを見せてもらう機会がありました。そのとき驚いたのは、医学部の説明会場には入りきれないほどの学生が集まっているのに対して、工学部の会場には数人がぱらぱらと聞いているだけでした。現在の優秀な学生の第1志望は医学部であることがわかります。

日本は無資源国で原料を外国から仕入れ、それをものに加工して、すなわち、ものづくりの付加価値で、日本国民の豊かな生活を支えています。ものづくりを支えるのは、エンジニアです。そのエンジニアを育てる工学部への進学希望者がどんどん少なくなっているのです。由々しき問題です。

日本の国というグローバルな観点から考えると、もっとも優秀な人材をものづくりに集めて、世界各国に負けない技術開発を行い、付加価値の高い製品を輸出して、国民を豊かにするのが、本筋だと思われるのです。しかし、現実にはその技術分野が優秀な人材からは敬遠されているのです。

学生個人に「医学部をあきらめて工学部へ行け」ということはできないでしょう。そうすると、やはり国として、工学部へ優秀な人材を集める施策をとる方向しかないように思うのです。例えば、工学部への奨学金を多額に出す等です。優秀な学生が医学部を志望するのは、日本国発展という観点から見ると、小善ということになります。日本のものづくりを衰退させるからです。

一方、無理矢理工学部入学者を増加しようとするのは、嫌がるのを引っ張るのですから、非情でしょう。しかし、適切な政策が実行されて、多くの優秀な学生がエンジニアに育ち、日本の技術開発が世界をリードする冠たるものになれば、国民の幸せにつながります。これまさに大善となるわけです。

8.おわりに

小善=大悪、大善=非情について、述べました。特に政治の世界に小善が大悪につながることが多いようです。会社のマネジメントの世界にもあるでしょう。会社に人材育成や学校教育の世界にも小善が横行しているのではないでしょうか。
筆者は前述のQC活動で『寝ずにやれ』と厳命したと述べましたが、この「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」の考え方を知り、朝礼を通じて、従業員にも周知しました。それ以来、容易にこの言葉を使えるようになりました。その向こうに従業員の幸せが見えるからです。

それを受け取る従業員も冷静です。「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」の思想をよく理解しているからです。そして、本当に切羽詰ったとき、例えば、有力顧客から「明日発表なので、緊急に特許出願をお願いします」との依頼があったとき等、所員は本当に徹夜でがんばってくれるのです。
年度末等出願依頼が集中するときにも、同じように事務所全体のエネルギーが盛り上がります。
知財部門においても「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」の思想を普及するというのは、大いに役立つと思うのですが、いかがでしょうか。