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「パテントメディア」

【社内活性化の原点】日本の教育と教育勅語

2010年9月
会長 弁理士 恩田博宣

始めに

京セラの経営理念について、1項目ずつ取り上げ恩田流のコメントをさせていただいてきましたが、今回はこの経営理念についてはお休みをいただき、日本の教育を取り上げ、そのあるべき姿について、所感を述べたいと思います。

1)憂うべき教育の現状

その1 モンスターペアレント

最近は親が子供を虐待するという事件が頻々と発生しています。幼子を炎天下の車内に閉じ込めてパチンコにふけり、子供を死に至らしめる事件も後を絶ちません。高校生がちょっとしたいさかいからクラスメートをナイフで刺して殺してしまうという事件も最近発生しました。一体どういうことになってしまっているのでしょうか。動物は本能的に自分の子供を庇護し子育てをします。人間が子育てを放棄するだけではなしに虐待までする事態は、もう狂ってしまっているとしかいいようがありません。

また、最近はモンスターペアレントといって、学校泣かせの親も横行しています。先日テレビで見たモンスターペアレントの実例をいくつか以下に記載します。

1.運動会で自分の子供がかけっこで転んで1位になれなかったので、父親はもう1回かけっこをやり直せと学校側に要求。
2.体育の授業中生徒がけがをした。先生が病院へ連れて行って、手当てをした。しばらく通院が必要といわれた。病院は本人の家から遠かったので、母親が通院のためのタクシー代を出せと学校に要求。
3.学芸会で白雪姫を上演することになったが、多くの母親が「自分の子を主役にせよ」と主張、結局25人の主役で上演。
4.箸の使い方が悪いのは「学校が教えないからいけない」と父親が主張。「しつけは学校でやれ」「おれは仕事で忙しい」「お前ら税金で給料をもらっているのではないか」と発言。
5.授業参観でおしゃべりをしていた母親が先生から注意されて逆切れ、「授業が退屈だから」等と暴言を吐き退席。
6.クラスで席替えをしたら、隣の子がうるさいからと再び席替えを要求、聞き入れ席替えをしたら、また、難癖をつけてさらに席替えを要求、何回も席替えを要求。
7.卒業アルバムの写真で「うちの子が真ん中に居ないから、撮り直せ」と学校側に要求。
8.運動会で雨が降ったのは、校長が雨男だからと難癖をつける。
9.子供がガラスを割ったのは、「校庭に石があるから悪い」と主張。
10.共稼ぎだからインフルエンザの子供を保健室で預かれと学校側に要求。
11.「校庭の桜が咲かないのは教育が悪いからだ」と発言。
12.「自分の日程が合わないから」と運動会の日程の変更を学校側に強要。
13.子供が学芸会で指揮者に選ばれたが、父親は「前を向いて指揮させよ」と学校側に要求。
14.体育で組み体操をした。先生が倒れないように体を支えたら、セクハラだと担任の先生が訴えられる。
15.親同士仲が悪い子供を同じクラスにしないように学校側に要求。
16.先生が忘れ物をした子供に注意をしたら、両親が謝罪を要求。
17.学校において顔に軽い傷をしたら、両親が一生の損害賠償を学校側に請求。
18.子供が家庭において、いたずらをしたら、夜中の2時に担任の先生に電話をし、「今すぐうちに来て注意せよ」と要求。
19.通学路の犬の糞を学校の先生に掃除させる。
20.規則で携帯を取り上げたら、料金を学校側に要求。

このように、とても常識では考えられないことが学校と子供の両親との間で、発生しているのです。社会常識の欠如としかいいようがありません。しかし、上記のような要求をまともだと思っている父兄がどんどん増えていることも紛れのない事実なのです。
給食費を払わない親も、例外ではなしに、かなりの割合になるという情報もあります。これもモンスターペアレントの例の1つでしょう。

その2 偉くなりたくない

もう一つ最近の若者の傾向として、出世敬遠傾向というのがあります。例えば、クラス委員(昔の級長)のなり手がないのだそうです。自分の時間がなくなる、いろいろな注文が多く雑用が増える、苦労が多いばかりだし、先生に怒られることが多いからというのが理由です。就職しても課長や係長の管理職に就くことを辞退する人が増えているというのです。普通に暮らしていけるならば、何も苦労の多い管理職に就く必要はないというわけです。暖衣飽食の時代がこんな風潮を造ってしまったのでしょうか。こんな若者気質が勉強をしない傾向を生み、日本の学力低下に拍車をかけているのです。
このような社会の現状をこのまま放置しておくと、日本はとんでもない国になっていってしまうような気がします。
身勝手な主張だけを強引に主張するけれども、自分の果たすべき義務には全く感知しない人がたくさん存在する社会になってしまう可能性があります。

2)原因は何?

いろいろ考えられます。
1.近所付き合いが希薄になり、相互扶助の精神がないため、学校に頼る。
2.核家族化で子育てのノウハウの伝承がなくなり、子育てまで学校に頼ろうとする。
3.不景気のため、お金がなくて給食費が払えない等の問題が起こり、何でも学校に面倒を見てもらおうとする。
4.権利社会となり、権利をはっきりと主張しないと損をする社会になってしまったので、学校に対しても権利主張をしようとする。
5.親の親が、しつけ等の教育をまともにしなかった。
6.格差社会に不満があるために、はけ口として、学校にクレームをつける。
7.親の高学歴化が進んだため、教師の相対的質の低下が起こり、教師や学校に対するバッシングへとつながった。

3)この憂うべき状態をどう解決するか

これらの原因は、いずれも教育によって修正すべきものと筆者は考えています。数年前筆者は、岐阜県経済同友会の教育に関して提言する委員会に所属し、教育の問題点について勉強させてもらったことがありました。教育について調べるうちに明治天皇の詔勅であるところの「教育勅語」に行き当たったのです。
教育勅語の中に出てくる15項目の具体的徳目を目の当たりにして、今日本人に欠けているのは、この15項目だと気付いたのです。
ご承知のように教育勅語は、昭和20年終戦までは、誰もがもう小学校のうちに暗記して、空でいえるようになっていたのです。文章そのものは、文語調で小学生には難しいのですが、「読書百遍意自ずから通ず」で、その意味については、当時の人々はよく理解されていたのです。筆者の父母も、死ぬまでよく覚えていました。現在、同じロータリークラブの方で75歳以上の人に聞いても、「忘れたなあ」とおっしゃっても、文章を見せますと、すらすらと読まれますし、意味内容もよくご存知です。
つい昨年、園長の指導で園児たちが教育勅語を唱和する幼稚園のことが報道されました。そのときの報道振りは、まるで教育勅語の唱和が軍国主義の亡霊が生き返ったかのごとく、痛烈に批判するものがほとんどだったのです。筆者の見解ですと、意味内容を分かった上での批判であったのかと、なさけない思いがあります。

4)教育勅語発布の背景

明治天皇は明治維新となってから、日本中が西欧化する中で日本的な精神文化が失われていくことを心配され、教育に非常に熱心に取り組まれたのです。
大学から小学校まで全国的に視察され、2つのことに気付かれたといいます。
すなわち、一つは道徳教育が軽視され西欧化がすすみ、東洋的な倫理が忘れられていること、もう一つは教育が実社会に役立つものになっていないことでした。
このような背景の基に日本の古典に題材を求め、紆余曲折を経て教育勅語になっているのです。
5)教育勅語解説
さて、教育勅語の内容に入りたいと思います。まず、教育勅語全体は次のように非常に短いものです。老境に入った筆者でも時間はかかりましたが、何とか暗記することができました。
教育勅語全文は以下のとおりです。

教育勅語

朕惟フニ、我カ皇祖皇宗、國ヲ筆ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ。我カ臣民、克ク忠ニ、克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世世厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我カ國体ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス。
爾臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ、恭儉己ヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、學ヲ修メ、業ヲ習ヒ、
以テ知能ヲ啓發シ、徳器ヲ成就シ、進ンテ公益ヲ廣メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重シ、國法ニ遵ヒ、一旦緩急アレバ、義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ、是ノ如キハ、獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス、又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン。
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所、之ヲ古今ニ通シテ謬ラス、之ヲ中外ニ施シテ悖ラス、朕、爾臣民ト倶ニ、拳拳服膺シテ、咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ。

明治二十三年十月三十日
御名御璽

5−1)中段の解説

教育勅語は上記のように、前段、中段、そして、後段からなっています。少しでも多くの方に読んでいただくために、もっとも重要な中段から解説したいと思います。15の徳目が短い文章で表されています。
爾臣民」(なんじしんみん)というのは、現代語に直すならば、「国民の皆様」と天皇が親しく国民に呼びかけられる表現です。「父母ニ孝ニ」(ふぼにこうに)は文字通り両親に親孝行をしましょうという意味です。最近では要介護となった両親を、さっさと介護施設に放り込む風潮が見られますが、「もう少し頑張って面倒を見たらどうですか」というように解釈もできましょう。
兄弟ニ友ニ」(けいていに、ゆうに)は「兄弟仲良くしましょう」、「夫婦相和シ」(ふうふ、あいわし)は「夫婦は互いに仲睦まじくしましょう」、「朋友相信シ」(ほうゆうあいしんじ)は「友人同士は互いに信じ合いましょう」ということで、解説は不要でしょう。
恭儉己ヲ持シ」(きょうけんおのれをじし)は「人に対して恭しく、自分の行いは慎み深くし、それを自身が持ち続けて行く」という意味になります。すなわち、「常に身をつつしみ謙虚でありなさい」ということにもなるでしょう。目上の人を敬い、礼儀正しくするという意味にもなるでしょう。現代風にいうならば、「贅沢をせず、エコを大切にしなさい」とでもいえるでしょう。
博愛衆ニ及ホシ」(はくあい、しゅうに、およぼし)は「博愛」広く平等に愛するということですし、「衆ニ及ホシ」は多くの人に及ぶようにするということですので、「世の中の人には差別なく親切に接しましょう」となるでしょう。
學ヲ修メ、業ヲ習ヒ」(がくを、おさめ、ぎょうをならい)は「よく勉強をするとともに、職を手につけましょう」という意味です。現代的にいうならば、専門的な職能を習得しようということになるでしょう。
明治以降、日本が西洋文明を取り入れ、文明的にも経済的にも世界列強に追いついたのですが、教育はその基ともいえましょう。江戸時代には、武士の子弟は藩校で学ぶチャンスがあり、高度な教育がなされていましたし、一般庶民は寺子屋における教育があって、読み書きそろばんが日本国民に広く行き渡っていたのです。この教育が明治以降の急速な近代化を実現したともいえます。
以テ知能ヲ啓發シ」(もって、ちのうを、けいはつし)の「以って」は「學ヲ修メ、業ヲ習」うことによってできた知能をもってという意味になります。知能は知識や能力です。「啓発」は発揮するという意味ですので、「よく勉強し、手につけた職の能力を発揮して世の中の役に立ちましょう」ということになります。
徳器ヲ成就シ」(とっきを、じょうじゅし)の「徳」は人徳のことですが、立派な行いを意味します。「器」は器量のことで、立派な行いができる才能です。成就は完成させるとの意味でしょう。前段にも「徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」(とくを、たつること、しんこうなり)と表現されており、「徳育」「道徳」が日本の建国の基本となっていたのです。従って、この教育勅語においても、道徳を基本においているのです。後段の最後においても「咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」(みな、そのとくを、いつにせんことを、こいねがう)と表現して、教育勅語全体が「徳」、すなわち、日本国民に徳を植え付けようとすることを基本にしています。
進ンテ公益ヲ廣メ」(すすんで、こうえきを、ひろめ)は「さらに一歩進めて、公の利益のためになろう」という意味です。前段にあった勉強をし、職を手につけ、知識や能力を発揮できるようになり、立派な行いができるように、人格を磨いたならば、それらを自分の利益だけではなしに、公の利益のためにも使いましょう、また、そのような考え方を世の中に押し広めて行きましょう、ということになります。
世務ヲ開キ」(せいむをひらき)の世務は世の中のつとめですが、世の中に役立つ、すなわち、公益のための諸事です。それらを開発しましょうということです。それは仕事であり、任務、システム、ソフトウエア等々でありましょう。現代のこの不況下においては、休業補償をしたり、車が売れるように補助金を出したり、失業者が仕事を見つけるための事業を行ったり、介護施設の充実を図ったりするのも「世務」に入るでしょう。
常ニ國憲ヲ重シ、國法ニ遵ヒ」(つねに、こっけんを、おもんじ、こくほうに、したがい)は、日常、国の憲法を尊重し、法律や規則をよく守りましょうという意味です。現代流にいえば、順法精神、コンプライアンスです。
一旦緩急アレバ、義勇公ニ奉シ」(いったん、かんきゅうあれば、ぎゆうこうにほうじ)は、ひとたび国に重大事変が起これば、国民は正義と勇気を持って、国の利益のために一身を捧げましょう、という意味になります。重大事変とは、当時強く意識されたのは戦争でした。第2次大戦で敗戦した日本は、国民全体が軍国主義を嫌う余り、自らの国を守るということすら嫌うようになっているのではないかと心配になります。平時に魚雷を発射し、韓国の哨戒艇を沈没させてしまった北朝鮮が近くにあります。いつ何時日本がそのようなトラブルに巻き込まれないとも限りません。軍事ということにも、もう少し日本は意を注ぐ必要があるものと考えます。また、この重大事変というのは、戦争とは限りません。神戸大震災のとき、多くの国民がボランティアで神戸に駆けつけ避難民の救済や援助に当たったのも、まさに義勇公に奉じたのです。当時、神戸では1件の略奪も起こりませんでした。日本人の優れた道徳観の現われです。笑い話ですが、当時暴力団までが救済や復興に手を貸したということも伝えられています。
以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」(もって、てんじょう、むきゅうの、こううんを、ふよくすべし)の「天壌」は天と地のことで日本の国のことをいっています。「無窮」は極まりないこと、永遠であること、「皇運」は国の運命、「扶翼」は助けるという意味です。すなわち、以上15項目の徳目を実行することにより、日本の国が永遠に栄えるように国民全体が助けなければならない、ということになります。

5−2)前段の解説

朕惟フニ」(ちん、おもうに)の朕は天皇の第一人称です。昔中国の皇帝が自分のことをこう呼んだことから、日本においても天皇が自分のことをこのように称するようになったのです。「惟フニ」(おもうに)は思うと同じ意味ですが、やや強い響きがあるとされています。確信するに近いニュアンスだそうです。
天皇が詔勅を出される場合、命令調のものはなく、全てこのように「私はこのように思いますが、国民の皆さんはどうですか」、という提案型になっているのです。
「我カ皇祖皇宗」(わがこうそこうそう)の「皇祖」は神話時代の神々のことをいい、皇宗とは神武天皇以来の歴代の天皇を指しています。
國ヲ筆ムルコト宏遠ニ」(くにをはじむること、こうえんに)わが国の建国を宣言されたのは神武天皇であって、それは2670年前とされています。それを国が始まったのははるか昔であることを表現したのが、この行です。なお、「宏遠」は広く遠いという意味です。
徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」(とくをたつること、しんこうなり)歴代の天皇は常に国民に対して道徳の教えを植えつけられたのですが、それは非常に奥深く、手厚いものであった、という意味です。すなわち、日本というのはもともと道徳、徳育が建国の基本となっていたわけです。
我カ臣民、克ク忠ニ、克ク孝ニ」(わがしんみん、よくちゅうに、よくこうに)日本国民は天皇、すなわち、国家に対してよく忠義を尽くしたという意味です。そして、「孝」は親孝行の意味ですが、天皇が国民に対して「皆さんが天皇に対してよく孝行をした」というのは、天皇と国民とが親子になぞらえられているわけです。ここに天皇と国民とが一体になっている思想が現われています。すなわち、一家の中心に家長としての天皇があって、そのもとに家族としての国民があったのです。天皇が親で国民がその子供であるともいえましょう。外国の国王や皇帝が、人民を力で支配し、搾取したのと大きな違いがあります。
昭和天皇が、終戦直後全国を行幸されたとき、どれだけ国民が勇気付けられたことか。まだ小学校1年生であった筆者にとっても、それははっきり意識できた出来事でした。また、昭和天皇は終戦後食糧不足に苦しむ日本国民を救うべく、マッカーサー占領軍総司令官を訪ね、「戦争の責任は全て私にある。私はどのような責任をも取る。皇室には世界的に見ても価値のある財宝が少しはある。これと引き換えに国民に食料を」とうったえられたことがありました。そして、アメリカからのMSA援助と称する食料援助が始まったのです。まずい脱脂粉乳でしたが、これが日本の子供たちの栄養源になったことは間違いありません。アメリカも偉かったのは、皇室の財宝を受け取ることはなかったのです。
天皇と国民が親子であるという証左の1つでしょう。
億兆心ヲ一ニシテ」(おくちょう、こころをいつにして)の「億兆」は数の多さを表すもので、「国民のことをいっています。多くの国民が心を一つにして」という意味になります。
世世厥ノ美ヲ濟セルハ」(よよ、そのびをなせるは)「世世」というのは、代々という意味で、最初にもあった「國ヲ筆ムルコト宏遠ニ」のように、建国以来の長い時代を表しています。「厥ノ美ヲ濟セルハ」はそのような美風(立派な風習、風俗)を作ったのは、という意味になります。そして、そのようなというのは、徳を以って国を治めるということで、道徳、徳育であり、親子の精神をいう「忠孝」であるといえます。
此レ我カ國体ノ精華ニシテ」(これ、わがこくたいの、せいかにして)は「このようにわが国が美風を作ったのは、わが国の優れていて、麗しいからである」との意味になります。「国体」というのは国柄でしょうか。
教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」(きょういくの、えんげん、また、じつに、ここにそんす)は「教育の源は確かにここにあります」との意味になります。「ここ」というのは前段の「此レ」と同じであって、道徳、徳育、そして、親子の精神をいう「忠孝」であるといえます。
是ノ如キハ」(かくのごときは)は「以上述べてきた事柄は」という意味になります。すなわち、道徳、徳育、忠孝の精神を基本とした、15の徳目のことをいっています。
獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス」(ひとり、ちんが、ちゅうりょうの、しんみんたる、のみならず)は「単に天皇の子としての忠実で善良な国民の皆さんだけではなしに」という意味になります。
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン」(また、もって、なんじ、そせんの、いふうを、けんしょうするに、たらん)の「遺風」とは祖先が残した美風(徳を以って国を治めるという立派な風習)のことです。また、「顕彰」は表し明らかにするという意味ですので、全体としては、「また、国民の皆さんの祖先が作り上げてきた徳を以って国を治めるという立派な風習を表し、明らかにすることができるであろう」ということになります。

5−3)後段の解説

斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ」(このみちは、じつに、わがこうそこうそうの、いくんにして)は、「斯ノ道というのは」以上述べてきた徳育を基本とした15の徳目のことです。「遺訓」は祖先の残した教えですので、全体としては「徳育を基本とした15の徳目は、歴代天皇の残された教えであって」ということになります。
子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所」(しそん、しんみんの、ともに、じゅんしゅすべきところ)の「子孫臣民」は天皇と国民を親子になぞらえていますので、子孫は国民を指します。従って、子孫臣民は両方とも国民ということになります。
「遵守」は従い守るという意味です。全体としては「国民がこぞってよく従い、守るべきものであるが」ということになります。
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス」(これを、ここんに、つうじて、あやまらず)はこの教えは今も昔も将来も間違いないことである」との意味になります。
之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」(これを、ちゅうがいに、ほどこして、もとらず)の「施ス」は、適用する、の意味で、「日本国内に適用しても、外国に適用しても」という意味です。「悖ラス」は「ものの道理に反しない」という意味です。全体としては、「この教えを日本の内外に適用しても、道理にかなっている」という意味になります。
朕、爾臣民ト倶ニ」(ちん、なんじ、しんみんとともに)は「私は国民の皆さんとともに」ということになります。
拳拳服膺シテ」(けんけんふくようして)の「拳拳」は「恭しく捧げ持つこと」、「服膺」は「服」は身に着けること、「膺」は胸のことです。全体としては「非常に重要視して、心に刻み付ける」ということです。
咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」(みなそのとくを、いつにせんことを、こいねがう)の「いつにせんことを」は、「国民全体が一つになって徳目を実践する」との意味になると思います。全体としては、「徳育を基本とする15の徳目を天皇も国民も一緒になって実践することを強く希望する」という意味になります。
明治23年10月30日はこの詔勅の発布日です。御名御璽は天皇のお名前(明治天皇の御名は「睦仁」でした)、御璽は天皇の印です。原本には天皇はお名前を署名されるのですが、それを外部に発表するときには、全て「御名御璽」とのみ書かれます。現在でも法律が国会を通って、官報に載るときには、御名御璽と印刷されます。

6)なぜ、再び教育勅語か

以上が教育勅語の意味ですが、この教育勅語を普及し、小中学生に少なくともこの中段を暗記させ、常に唱和することが行われたならば、なにが起こるかということです。
その効果を分かりやすく説明するために、アファーメーションについて説明したいと思います。すなわち、アファーメーションというのは、SMIというプログラム(自己啓発プログラムであって、人生の成功に関する)の中で定義されているのですが、「積極的肯定的宣言」というように、訳されています。
目標を立て、これを実現するための具体的手段の1つなのです。人は目標を立てることはいくらでもあります。「ハワイに行きたいなあ」と思うようなことはしょっちゅうあります。しかし、「そのうちにいけたら行こう」というのでは、まず実現しないでしょう。実現への近道は、その目標を達成すべき期限とともに紙に書いて貼ることです。その実現をさらに確実にするための手段として、2つあります。1つはビジュアリゼーション、もう1つはアファーメーションです。ビジュアリゼーションは目標が実現した状況を思い描くことです。貼った紙の横にハワイの写真を貼り、そこで自分が楽しく泳いでいる姿を思い描きハワイ行きのための具体的行動、例えば、資金をためるために貯金をするとか、時間取るための工夫をするとかを、行うように刺激するのです。
さらに、もう一つの手段がこのアファーメーションです。目標が達成された状況を積極的肯定的に宣言するのです。例えば「私は今ワイキキビーチで休暇を楽しんでいる。長年の夢が実って、ここハワイに来られた。ハワイは思っていたより快適でリラックスできる。明日からの頑張りに大いなる糧になるだろう。さあ、ハワイに向けて今日も仕事に精を出そう」というように、実現した状況を宣言するのです。
この文章を紙に書いて貼り、いつも声を出して読むのです。最初は懐疑的であったとしても、読み続けるうちに、必ず自分の信念にまで同化してくるのです。
そうすると実現のために具体的な行動も取れるようになるのです。それは洗脳の過程といってもいいでしょう。
筆者が青年会議所(JC)に入会したときの経験を説明しましょう。青年会議所では例えば月1度の例会等、ミーティングがあるときには、必ず綱領を唱和します。それは「我々JCは社会的、国家的、国際的な責任を自覚し、志を同じうするもの相集い力を合わせ、青年としての英知と勇気と情熱をもって明るい豊かな社会を築き上げよう」というようになっています。
最初、この綱領唱和ほど筆者にとっていやなものはありませんでした。「できもしないことを、おこがましくもよく平気で読めるなあ」という思いだったのです。しかし、1年2年3年と読んでいますと、まず声を出して読むことの抵抗がなくなっていくのです。そして、その意味を考えるようになるのです。さらにJCのやっている事業との関係を考えます。「なかなかいいことやっているではないか。そうか、JCの事業はこの綱領を外さないようにやって行けばいいのか。分かった。いやこの綱領はすばらしいではないか。私の信念といってもいいな」というように、筆者自身が変化して行ったのを覚えています。
もう、無意識の中にこの綱領が完全にインプットされ、筆者の行動は自動的に、かつ、無意識にこの綱領に従って青年会議所活動を行うようになってしまったのです。
この過程は、洗脳の過程です。何回も読み下すことの効果なのです。この状態は誰にも起こることなのです。
従って、もし、この教育勅語の少なくとも中段の「爾臣民、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭儉己を持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習い、もって知能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を広め、世務を開き、常に国憲を重んじ、国法に従い、一旦緩急あれば義勇公に奉じ、もって、天壌無窮の皇運を扶翼すべし」を、小学生に丸暗記させたとします。そして、卒業までにはその意味をしっかり教えます。そして、朝礼、その他のミーティングの時には、必ず唱和するようにし、さらに、家庭でも紙に貼って読むようにするのです。
そうすればこの15項目をしっかり守れる人間が続々と育っていくことになるのです。そうすると日本の徳器の水準ははるかに高くなるでしょう。親になっても、給食費を払わなかったり、自分の子供を学芸会の主役にせよ等と学校に要求したりすることは、なくなるでしょう。モンスターペアレントは消滅します。
残念ながら、具体的にどう行動せよという教育指針は、現在ではありません。教育基本法にも、抽象的に目標のみが記載されているだけです。教育勅語の15の徳目は実に具体的です。国民がこぞってこれらの徳目を実践すべきなのです。ぜひ、孫に実践してみたいと思います。

参考文献:
「教育勅語のすゝめ」 著者 清水馨八
発行所 (株)日新報道

2010年9月発行 第89号

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