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「パテントメディア」

経営理念について10

2008年1月
会長 弁理士 恩田博宣

京セラの経営理念を1項目ずつ取り上げ、恩田流のコメントをさせていただいております。今回は「経営12か条」の最初の3項目について述べさせていただきます。

京セラの創始者稲盛和夫さんは「会社経営は一般的には大変難しいものだと思われているが、この経営12か条を守ってもらえば、京セラ程度の経営はできます」と言っておられるのです。われわれ零細企業の経営者から見れば、神様にも近い京セラの経営だと思われるのですが、この12か条を守れば近づけるというわけです。わずかでも京セラの経営に近づきたいものです。

1)事業の目的、意義を明確にする

京セラでは事業目的、意義を「全従業員の物心両面の幸せを追求し、合わせて人類社会の進歩発展に貢献する」と、明確にしています。この全従業員の中には勿論トップも含まれています。

最初、京セラは稲盛和夫の持つセラミック技術を世に問う会社として設立されました。しかし、会社設立後、間もなく従業員から「将来が不安だ。給料、ボーナスを保障せよ。そうしてくれなければ全員辞める」と詰め寄られた稲盛さんは、この危機を説得によって乗り切ったのですが、改めて従業員を雇うということの意義を認識されたのです。従業員を雇うということは、昨日まで縁もゆかりもなかった人に対して、雇った瞬間から、その人の生活の面倒を一生の間見る義務が会社側に生ずるということだったのです。そうして、京セラの経営の原点とも言うべき理念が打ち立てられました。それは「全従業員の物心両面の幸せの追求」だったのです。

稲盛さんはおっしゃっておられます。給与やボーナス等、物の面だけでは際限がないので、「物心両面」として、心の面での幸せも追求しようとしたと。さらに、これだけではどうしても物足りないので、後半の「人類社会の進歩発展に貢献する」という理念を付けたというのです。

しかし、稲盛さんはおっしゃるのです。縁もゆかりもない従業員を一人雇い入れたその瞬間から、その従業員が辞めると言わない限り、原則はその従業員の生活を一生面倒見る義務が経営者には生ずるのです。確かに事業を安定的に発展させて、従業員数を増やし、彼らの生活を守り、向上させていくという経営者の努力は、大きな社会貢献になるといえるのです。

その事業を発展させ、従業員を一人また一人と増やしていくのは、そう簡単なことではないことも明らかです。

当所においても、理念の第1番は「全従業員の物心両面の幸せ追求」ということに切り替えました。

給与1つに焦点を当ててみても次のようなことがいえます。すなわち、できるかぎり、給与面の待遇を向上しようと事業上の努力をします。高水準の利益を上げることができ、給与やボーナスを上げることができたとしますと、従業員の可処分所得は増えます。それは日本のGDPを向上させることができます。このような意味でも社会貢献はありうるのです。

利益が大きくなれば、納税金額も大きくなります。これもまさに直接的な国家への貢献になります。

従業員を大切にすることが、直接的にも間接的にも社会貢献に密接につながっていることが、稲盛哲学からよく理解できたのです。今後当所でこの考え方が変わることはないでしょう。
また、京セラ理念では、物心両面といっています。心の面はどうでしょうか。給料はアップしてもしばらくすると、すぐ慣れてしまいまだ足りない、もっと欲しいというように際限がありません。稲盛さんは「足るを知れ」とおっしゃっています。このような考え方は常に教えを受けていなければ、人間の本能としてどうしても、起こってしまうのです。従って、組織的にこのような考え方を教育する必要があります。当所では「足るを知る」点について、組織的に教育を行っているわけではありませんが、朝礼やコンパ等ではたびたび話をして、浸透するようにしております。

当所が特に力を入れているのは、人生に対する取り組みです。人生に対して消極的に対応してもらっていては、その人の一生が台無しになってしまいます。そこで、当所ではまず入所前の宿題として、自己啓発関連のテープ「人生成功の秘訣」を聴いてもらい、感想文を書いてもらいます。この段階で恐怖心に近い感情を持つ人もあります。その感想文で大体その人の思考行動パターンは分かります。採否に参考になるのです。

入所しますと、導入教育は3ヶ月間に及ぶのですが、その1つにレッスン14からなる自己啓発プログラムがあります。毎日、30分程度のテープを聴いてもらい、数行の感想文を書いてもらいます。もちろん、入所前にやった「人生成功の秘訣」に関するものです。1週間同じテープを聴きます。そして、1週間たったところで、カウンセラーのインタビューを受けます。そして、次のテープを聴きます。14週間で終了します。

当所へ入っていただいた人には、できる限りいい人生をやってもらいたいという思いから出たプログラムです。

そのほか当所の心の面の幸せ追求は、新入社員教育、朝礼、経営理念手帳(毎号トップページにその1つを紹介しています)の輪読等によって、行われています。

2)具体的な目標を立てる

2−1)目標のブレイクダウン

経営12か条の2番目は、「具体的な目標を立てる」ということです。そして、この「目標は従業員全体に共有されていなければならない」、さらに、この「目標は各組織の目標にブレイクダウンされていなければならない。最終的には個人個人の目標まで詳細に決められていなければならない」とおっしゃっています。

例えば、企業全体の年間売上目標が決まったとき、その目標値は社内各組織の目標値にブレイクダウンされるとともに、最終的には各個人が年間いくらの売上を挙げるべきかの目標まで細分化されていなければならないというわけです。

当所でもアメーバ経営(パテントメディア第79号参照)を導入するとともに、ISOの手法でこの年間目標は個人段階まで徹底されています。

しかし、問題はそれを個人個人がきちんと意識して、日常の仕事に臨んでいるかということです。まだ、アメーバ経営が始まって間もない頃、割り付けられている個人目標を「あなたは今月の目標はいくらか」と聞いてみると、分かっていないことが多かったのです。

監査で「今月の売上目標はいくらですか」と質問してみますと、「ちょっと待ってください。コンピュータには入っていますから」とか、「今日現在売上は幾らまで行っていますか」と聞いてみると、「えー、ちょっと待ってください。データを確認してみますから」と、コンピュータのデータを見るとかということが起こりました。これではダメです。目標は常時意識下にあって初めて目標となるのであるし、今日現在の売上累計が分かって、後幾ら売り上げれば今月の目標が達成されるかが分かるのです。

監査を何回もやっているうちに、今月の目標値、今日現在の売上高が明確に意識されるようになりました。それとともに月次で目標を達成できる職員の割合が増えてきました。そうしますと当然なのですが、事務所全体としても、目標達成ができる月の割合が増えてきました。具体的な目標を立てることの重要性は身を持って体験することができました。

2−2)長期経営計画

稲盛さんは経営計画について、「長期の経営計画は必要がない」とおっしゃっています。偉大な経営者にこのような考え方があることに驚きました。

理由は次の通りです。「経済予測が非常に難しいのと同じように、私たちが置かれている企業経営環境というのも、数年で大きな変化を遂げて行くわけです。現時点で5年先を見て、中長期の経営計画を立てた場合でも、2年後には会社が置かれている環境はがらっと変わっています。長期経営計画を立てていると、そのように状況が変わってしまい、それを修正するということをしょっちゅうしなければならなくなります。中長期の経営計画を立てて従業員を引っ張っていくことは大事なのですが、それが常に修正されるとなると、計画そのものの信憑性がなくなり、計画自体が疑われてしまうことになりかねません。計画が守れないとなってくると、従業員の信頼までなくなってしまうと思い、私は中長期の計画はなるべくしないようにしました。その結果、私は1年間の経営計画とその月々の経営計画を立て、それを必死に守り抜くということをしました。1年くらい先までなら、何とか経済予測も読めますし、企業環境も読めるものですからその1年間を必死にがんばるということをやったのです」

さらに、稲盛さんは「今日1日がんばれば明日が見えてくる。今週一生懸命がんばったら来週は見えてくる。今月一生懸命がんばったら来月は見えてくる。今年1年間一生懸命がんばったら来年は見えてくる。だから見えてきた分だけ、明確な目標を立ててそれを遂行していく」とおっしゃっています。そうすれば従業員の信頼性が高まって行くというわけです。

現在、当所においては、長期目標は何年までにどの規模まで持っていくかということについては、達成日限のみ決めて、顧客獲得のための営業活動と人材の採用に関する活動を活発に行うということにしています。新規事業として、本年年初に発足したコンサルティング事業(シンクタンク化事業)については、向こう約1年間の計画のみが決められているのみです。

筆者自身が長期経営計画を作る必要性を、その意義を全く考えることなく、「作らねば」と思い続けていました。そして、事務所の規模や事業に関する目標のみについて、何年に実現ということを決めていた程度でした。いつも「これではいけない、もう少し具体的に決めねばならない、今の決め方では不十分だ」という悩みに苛まれていました。忙しさにかまけて長期経営計画にかける時間が取れなかったというのが正直な話です。

稲盛さんのこの考え方に始めて接したとき、大きな安堵感を得てほっとしたのを覚えています。

確かにわが知財の分野においても、法律だけ見てもその改正はほとんど毎年のように行われており、特許庁や裁判所の動向も少しよそ見をしているうちに、大幅に実務が変化していく傾向があります。そういう意味では中長期目標は稲盛さんのおっしゃるように、修正の連続になる可能性が高いのです。ひょっとすると、一般事業の分野よりもその変化の速さはこの知財の分野は著しいかもしれません。

しかしながら、筆者にはいささかの疑心暗鬼があります。京セラにおいても最近は中長期目標が決められているということですし、中長期目標を立てていないということは、事務所全体がどこへ行こうとしているのか分からないため、職員を強力に引っ張って行く原動力に欠けるところが出る可能性があるからです。また、日頃の忙しさにかまけて、さらには、稲盛理論を都合の良い言い訳にして、やるべきことをやっていないのではないかという疑問です。

稲盛理論の正当性も理解できますが、中長期の経営計画が本当にそう簡単に割り切ってしまっていいのだろうか、と時々疑問がわいてくるのです。「なぜ」という理由はないのですが。

最近では次のように考えるようになりました。すなわち、どちらが正しかろうと、京セラが稲盛流であれだけの大企業に育ったことは事実ですし、その間稲盛流で経営をやって来られて、それが大きな成功を呼んだのも事実です。従って、どちらでやってもそう大差はないのではないか、というように結論付けられるような気がします。どうも当所では今後も詳細な中長期の経営計画はできそうにありません。

3)強烈な願望を心に抱く

稲盛さんは次のようにおっしゃっています。すなわち、「願望というのは、会社をこうしたいという望み、願をかけるような望みのこと」とのことです。さらに、「強烈な」という修飾語が付いています。これは「すさまじく強い思い」のことだといいます。

「経営を続けて行く中でいろいろな困難に直面します。例えば、ある技術開発をしたいと思ったとしても、その技術者が不足していたり、資金がなかったり等の問題は常に起こりますが、諦めることなく、その技術開発に対して強烈な願望をもって、寝ても覚めても考えるということをするのです」

そうしますと、「思う一念岩をも通す」の例えのごとく、その思いは徐々に潜在意識に浸透していきます。潜在意識は無意識ですので、ここに強烈な願望が蓄えられますと、その者の行動は全て潜在意識に支配されることになるというのです。

例えば、「100人の組織を何としても実現したい」と強烈に望み、明けても暮れてもそのことを何とかしたいと思うことは、かなり早期に潜在意識に定着します。そうすると思考も行動もこの潜在意識に支配されることとなるのです。そうしますと、全ての思考、行動、すなわち、意思決定は全て100人の組織形成に収斂することとなるのです。どのような場合にも、その経営決断は100人の組織へと向かうこととなるのです。そうしますと神経は非常に研ぎ澄まされてきますので、小さなチャンスも目ざとく自分のものとすることができるようになります。100人の組織実現への可能性は非常に高くなっていくのです。

筆者の経験を述べたいと思います。

筆者の例1

筆者がオンダ特許を開設して10年、昭和55年(1980年)頃組織は50人に近づいていました。当時、日本は高度成長期で事務所の業績は順調に伸びていました。しかし、今後大きく増加するであろう外国出願に対応する能力は、特許事務所の機能として必須であることは、容易に推測できるにもかかわらず、当所の能力はとても低いものでした。何とかしなければという思いは日に日に強く激しくなっていきました。寝ても覚めてもその思いが頭から離れることはありませんでした。しかし、筆者自身の能力はたいしたことはなく、自分で外国出願を処理し、従業員を教育していくにはあまりにも能力不足でした。

当時、一般的に行われていたことは、所内から能力のある人材をアメリカの特許事務所へ派遣して、こちらから送る出願事件の添削をしてもらい実力をつけるというものでした。当所にも当時その試練に耐え得る人材は何人かいました。しかし、彼が家族ともどもアメリカに行き、勉強するには年間1000万円以上の費用がかかりそうでした。しかも、1000万円以上稼いでいた彼の売上はほとんど0に近くなります。通算すると2000万円くらいの費用を要することとなることが分かりました。コンサルタントの「アメリカから特許弁護士を招聘してはどうか」との示唆のもと、アメリカの特許事務所を行脚し、派遣を依頼しました。しかし、答えは「大変忙しいので、派遣は無理だ」というものでした。ある事務所の答は、「採用したばかりの新人弁護士ならば1時間150ドルで派遣してもいい」という大変厳しいものでした。意気消沈して帰って来たのを覚えています。

その後10年間、アメリカ特許弁護士の招聘を実現すべく、当所を訪問する特許弁護士や、筆者が訪問した特許事務所には、あらゆる機会を捉えて、有資格者の派遣要請をしていました。あまりにもしつこかったものですから、あるアメリカのある特許事務所のパートナー弁護士が気の毒に思ったのでしょう。専門誌に「日本にいい職場がある」という広告を彼の費用で出してくれたのです。そうしたところ5人の応募者があり、優秀なアメリカ特許弁護士を採用できたのです。平成元年(1989年)のことでした。

その後その特許弁護士による2年間の指導は非常に貴重でした。彼が離日した後には、さらに、新たな特許弁護士が着任し、その後、当所には1名または2名のアメリカ特許弁護士が常駐するようになりました。

初代弁護士の指導のもと、当所の外国出願能力は飛躍的に向上しました。彼は単に明細書の正確な書き方のみならず、アメリカの実務とともに、必要な商売のやり方まで正確に指導してくれました。彼の帰国後、相当期間経ってから判明したのですが、彼はアメリカにおける給与を減らしてまで日本へ来たのでした。稼ぎに来たのではなく、日本を勉強しに来たことが分かりました。

彼の滞在中の活動は目覚ましく、顧客の評判もよく、弁理士会から招聘を受けて、アメリカ特許法の基礎を講義したこともありました。

当所の外国出願能力は順調に伸びていったのは、勿論です。強い思いが実現した典型的な例です。

筆者の例2

最近、出願代理のみでは、厳しくなる一方の出願料金体系を抜け出し、付加価値の高い仕事を模索すべく、当所はコンサルティング業務に進出しました。内容は企業が新しい事業分野を起こすお手伝いをしようとするものです。基本的には船井総研と共同で行っていますが、船井総研が組織する4000社のベンチャー企業のシーズを育ててみませんかというものです。しかし、それだけでは足りませんので、大学の研究開発している技術シーズを収集しています。

開発技術としては、まず成熟技術は避けます。草創期にある技術を手がけます。参入する技術が決まりますと、当所が世界中から関連技術を収集します。そして、その技術体系を依頼者の技術者並びに当所からブレーンストーミングに参加する数人の特許技術者に教育します。そして、参入に先立って3段階のブレーンストーミングにより多くのアイデアを創出し、特許出願を行います。競合他社に対して参入障壁を作るのが目的です。それらのアイデアを中心に企業の開発業務が行われるのです。

先般、事例としてアスベストの処理に関してブレーンストーミングを行ったところ、30以上の特許出願可能なアイデアが出てきました。

ところが、実際には次のような依頼が中心になりつつあります。すなわち、基本的なアイデアはすでに出願をした。しかし、その周りを囲む特許網を作りたいというご依頼です。ブレーンストーミングによるアイデア創出を期待された企業から多くの打診がありました。いくつかの企業からの依頼で実際的な業務に踏み込んだ例も生じております。

近時、筆者の頭の中は四六時中この事業のことで一杯です。寝ても覚めてもの状態なのです。あらゆる決断行動がこの事業発展のためのものとなると確信しています。

筆者にこの状態が続く限り、成功の方向へと前進して行くことと思います。 

筆者の例3

当所ではコンピュータ組織がかなり有効に使用されています。例えば、願書、明細書及び図面が出来上がりますと、パテントチェッカと称するソフトが250項目にわたってチェックするようなソフトも開発されているのです。同ソフトは典型的には番号間違いや、クレーム番号の引用間違い、図面中の番号が全て明細書に出ているか、逆に明細書中の番号が全て図面に出ているか等のチェックを行うものです。

当所は昭和58年に組織的なコンピュータを導入しました。書誌的事項のみ入力すれば、後の連絡書類は自動的に出てくるという優れものでした。しかし、すぐに問題が発生しました。たくさん出願依頼をしていただけるお客様に出願番号通知書を送るとき、コンピュータは1件1葉で連絡書(送り状)が出力されるのです。

お客様から苦情がありました。「1件一葉では、拝啓貴社益々…」ばかり何枚ももったいないから、出願番号のところだけ複数行にして連絡書(送り状)は1通で複数件の連絡事項を書いてください」というのです。

早速、ソフトウエアハウスにその旨伝え、ソフト開発を依頼しました。しかし、なかなかでき上らず、3ヶ月目にやっとできてきました。試してみると、虫食いだらけでとても使用に耐える代物ではありませんでした。さらに1ヶ月経ち、やっとまともに使用できるようになりました。ところが請求書を見てびっくりです。当時、物価は現在よりも相当低かったと思うのですが、50万円もの請求です。

そこで、どうしても所内でソフト開発をせねばならないと言う思いに駆られたのです。しかし、日本は高度成長時代、零細企業に入ってくれるSEを探すのは、至難の業です。しかし、どうしても必要だという思いは日に日に強くなっていきました。どうしたらいいか。インターネットもまだない時代です。募集といえば新聞か職安です。何度募集しても応募者はありません。でも当所のSEの必要性は増すばかりです。片時もSEが頭から離れることはありませんでした。そうしたらチャンスが訪れたのです。たまたま出席した自己啓発のセミナーにSEのK君が出席していたのを知った筆者と家内はとにかく口説きました。

必死の形相だったと思います。後から分かったのですが、K君は当時若干給与を減らして転職してくれたのでした。彼が就職してくれてまもなく、同じようなソフト開発の必要性が生じました。「K君御願いします」と頼んだのが午前9時でした。12時には「もうできました」というのです。唖然と驚くとともに、K君の優秀さに感嘆し、SEの重要性を身にしみいる思いで体感したのでした。コンピュータの有効利用のためにはSEの存在は欠かせないといえます。

その後当所は順調にSEの数を増やし、現在では8名を数えています。しかし、アメリカの特許事務所では、従業員20名につき1名のSEをおいているようです。当所ではその比率からいいますとまだまだ不足の状態です。

この話も、寝ても覚めても強烈な思いを維持し続けたことによる成果といえそうです。

2008年1月発行 第81号

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