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「パテントメディア」

経営理念について6

2006年9月
会長 弁理士 恩田博宣

京セラの経営理念を1項目ずつ取り上げ、恩田流のコメントをさせて頂いております。

1)チャレンジ精神を持つ

人はえてして変化を好まず、現状を守ろうとしがちです。しかし、新しいことや困難なことにチャレンジせず、現状に甘んじることは、すでに退歩が始まっていることを意味します。
チャレンジというのは高い目標を設定し、現状を否定しながら常に新しいものを創り出していくことです。  チャレンジという言葉は勇ましく非常に快い響きを持つ言葉ですが、これには裏付けが必要です。困難に立ち向かう勇気とどんな苦労もいとわない忍耐、努力が必要です。
自分たちにはとてもできないと言われた難しいものを作るというチャレンジの連続が、京セラを若々しく魅力のある会社にしてきたのです。

京セラの理念ではこのように述べられています。
確かに何か新しい試みにチャレンジしようとすると、所内のあちこちからその試みの問題点や困難性が数多く指摘され、現状維持の方がよいという意見が出てきます。
つまり現状維持のエネルギーはすさまじいのです。

創業当初から便利に使いこなしてきた出願台帳は、出願人毎に見開き2ページに16件の出願の経過が日付順に記載され、大変便利なものでした。しかし、そのメンテナンスは大変でした。小さなゴム印で経過を記入する必要があったからです。間違いも出ようというものです。
そこで、当時コンピュータライズが進みつつあった当所においては、平成3年この台帳をコンピュータ化することとしました。しかし、所内からはいろいろな抵抗が生じました。「1件1件は見られても、16件いっぺんに見られる一覧性がなく、不便だ」「検索が大変だ」「コンピュータがロックしてしまったときどうする」「全経過が見られるのか」「いちいちコンピュータを開かなければならない」等と反対意見が大勢を占めました。しかし、慣れるに従って、やはりコンピュータの方がメンテナンスが非常に楽なこと、LANが普及するにつれて便利さが認識されたのです。実行して初めてその有効性が理解されたのでした。

もう一つ、当所がチャレンジした上海オフィスについて説明させて欲しいと思います。
2000年であったと思います。恩田理事(筆者の妻)は当時の所長であった筆者の代理として、発明協会岐阜県支部の中国旅行に出かけました。そして、上海がすさまじく発展する姿を見て感動し、「当所も何らかの対応をすべきだ」と筆者に訴えたのです。それを遡ること4年、筆者と国際部の部長の根岸と恩田理事が中国の北京、上海の特許事務所を訪ね歩いたことがありました。
しかし、そのときの上海はまだ高速道路もなく、上海特許商標事務所を訪ねたときには、まだ舗装もしてない道路もところどころにあったのです。自動車の渋滞はひどかったし、空港でのタクシー待ちの時間も大変なものでした。日航ホテルの推薦で行ったレストランがなんと女性トイレが個別に分かれておらず、みな並んで用を足さなければならないといった状況でした。
そんな上海が発展し、古い上海は跡形もなく消え、感動的な姿に変身していたのです。

筆者は何とか中国におけるビジネス展開をしなければならないという気持ちを強く持つようになって行きました。しかし、具体的に何をやるかということについては、何かのヒントを得ようと新聞やインターネット等に注意を向けるということをやっていました。
何のアイデアもわかないまま時間だけが経過していきました。2001年になり、当時当所に勤務していた中国人の夏(シャ)さんから、中国若しくは香港において、何か事業を始めたらどうかという提案がありました。しかし、筆者はどんな事業を選択すれば、短期間に利益が上げられるのか、考えをまとめることはできませんでした。そうすると夏さんは計算に基づいて、「当所で描いている図面を中国で描くと年間2,000万円の利益が上がります。中国で図面を描きましょう」と提案してきたのです。

そこで、当所の有力顧客の何社かに聞いてみました。「我々は図面を中国で描こうと思いますがいかがですか」「それはいいですね。コストがかなり下がるでしょうね。しかし、申し訳ないが、当社の図面は中国で描くことは止めてください。秘密漏洩があるといけません」ということでした。結局図面を中国で描くというアイデアは不可能であることが分かりました。
夏さんにその旨伝えました。その後どのくらいたってからだったでしょうか。また、夏さんがやってきました。「中国の企業も数年ならずして、多くのPCT出願を諸外国の権利取得を目的にするようになります。その前に中国の大手企業を取り込むために、知財管理に関する教育を中国でやったらどうでしょうか。そうすれば多数のPCT出願の国内段階で日本向けのものは当所へ取り込むことができるのではないか」という提案でした。
利益を短期間に上げることは難しいだろうが、3〜5年の投資により、その後の利益を確保するのはそんなに難しいことではないだろうと感じました。
不安はありましたが、「夏さん、そのアイデア買った。やろう」と大きな決断をしたのでした。これといった確信はなかったのですが、夏さんという優れた人材と、中国の驚異的な経済発展が筆者の背中をドンと押したといえます。
当所の中国チャレンジの始まりです。

経営者の仕事は現在の利益を確保するのはもちろんですが、将来の利益を確保するための企画実行の仕事も重要なのです。
将来の事業展開を考えたとしても、決断をして実行するということはそれほど簡単なことではありません。まさにチャレンジです。
そうして、夏さんにより、立地はどこがよいかという市場調査が行われました。北京、上海、重慶、成都、大連の5都市が調査対象でした。我々のターゲットが中国企業にあったのですから、何といっても上海だろうということになりました。上海周辺に中国特許出願数ベストテンに入る企業が6社もあったからです。このようにして上海オフィスはスタートしたのです。
上海のどこに立地するかも、難しい問題でした。しかし、恩田理事の決断で大変家賃は高かったのですが、アクセスのよさ、人材の集め易さから中国一の高さを誇る金茂大厦が選択されました。

しかし、当初の中国メジャー企業に知財教育をするという企画は、3回のセミナでうまく行かないことが分かりました。セミナを一流ホテルで、昼食付で、しかも、無料で行わなければ客が集まらないということだったからです。失敗でした。
生き残るすべを考えなければなりません。ホームページの充実に注力しました。これを見られた日本企業からの特許や意匠、商標調査の仕事が結構受注できることとなって行ったのです。

そして、誠にラッキーなことに、翌年の2003年、中国の商標代理人資格は廃止され、組織を作りさえすれば、代理可能という情報が入ってきました。直ちに商標事務所を設立しました。このおかげで商標の代理が可能となり、日本からの多くの出願を獲得できることとなったのです。日本語で対応できること、調査、出願までの時間が短いこと、調査の正確性等が日本のオンダ特許と同等であることから、急速に実績が伸びつつあります。 

商標事務所の開設という事実は、現地にいなければ分からない情報に基づいています。現地にいたからこそチャンスがあったといえます。
当所の上海オフィスは最初中国メジャー企業に接近し、特許管理に関する教育を行うというものでした。しかし、それがうまく行かない代わりに調査から商標出願へ、さらに特許意匠の出願へと変化していったのです。
チャレンジというのは、結果から見れば、決断があって、それを実行する過程があるのですが、そこには運というものが大きく作用しているということもいえると思います。

京セラの創業者稲盛和夫さんは、「常によきことを考え、よきことを行えば、自分の運命すらも変えられる。そして、運までもが味方をしてくれる」といっておられます。
今後も当所の中国チャレンジは続きます。我々がよきことを考えよきことを行い、世のため人のためを考えて事業を行う限り、きっと運もその歩行を早めてくれることでしょう。

2)ものごとをシンプルにとらえる

私たちはともすると、ものごとを複雑に考えてしまう傾向があります。しかし、ものごとの本質をとらえるためには、実は複雑な現象をシンプルにとらえなおすことが必要なのです。事象は単純にすればするほど本来の姿、すなわち真理に近づいていきます。
たとえば、一見複雑に思える経営というのも、つきつめてみれば〔売上を最大に、経費を最小に〕という単純な原則に尽きるのです。京セラの〔時間当たり採算制度〕も、この単純化してものごとをとらえるという考え方をベースにしています。いかにして複雑なものをシンプルにとらえなおすかという考え方や発想が大切なのです。

京セラの経営理念ではこのように述べられています。
この京セラの理念を知って、筆者の事務所における「シンプルにとらえる」は何だと考えたとき、すぐ気づくのは特許明細書です。一般的にいって特許事務所における最も多い仕事は、なんといっても特許明細書の作成です。そして、この仕事を効率化することが、特許事務所にとって最重要事項といってもいいでしょう。

従って、筆者も開業以来この点には十分意を注いできました。明細書の作成をできる限り単純化しようとしました。しかし、基本は技術理解にあるのですから、簡単ではありません。平成6年施行の、新規事項追加禁止の法改正を機会に、当所では明細書作成基準を作成しました。その内容は明細書をできる限りシンプル化しようという意図がありました。その内容は以下のとおりです。

1.クレームを除く文章を3行以下とする(三行革命といいます)。

これは主語と述語を明確にするとともに、文章そのものを単純化して、理解を容易にしようとするものでした。それは外国出願する場合の翻訳の質を上げることにも貢献します。

2.第1クレームはソフトウェア15行以内、それ以外の出願は10行以内とする。

これは技術的範囲を大きくするためです。それ以上になるときは理由を付けることとなっています。企業によっては5行以内というところもあります。

3.実施形態の効果をできる限り多く箇条書きする。

これは意見書で、当初の明細書に書いてない効果を主張しても、認められないことに対応するものですが、意見書を作成するとき、どの事項を限定するかのインデックスにもなるのです。限定する新たな構成にきちんと効果があることにもなります。

4.当所担当者の考えた別例を必ず1つ以上入れる。

クレームをサポートする実施例を多くして、技術的範囲を大きくするためです。

5.比較的実施形態に近い小さなクレームをクレームアップしないで、明細書の末尾にその効果とともに、記載する。

審査請求時の費用の節約になります。意見書を書くときに、必要があれば、いつでもクレームアップすることができるのです。傘下の他の事務所にも全面的に採用していただいた企業があります。

6.特に機械、電気関連の明細書については、その構成を2種類に決めて、それを特に新人に教育しています。

それは例えば、(1)「図1に示すように、倒椀形状の割込部1には、その下端周縁に尖鋭状の刃部2が形成されている。なお、割り込み部の材質は硬く薄い金属が望ましく、その具体例としては、ステンレススチール、チタン合金がある。」
(2)「図1に示すように、倒椀形状の割込部1は、全体がステンレススチール、チタン合金等硬く薄い金属よりなるとともに、その下端周縁が尖鋭状の刃部2に形成されている。」

いわゆる「 には書き」と「は書き」です。構成の書き方がパターン化(「とともに、」「なお、」も文章を読みやすいものにするためのパターン化の例です)されているのです。新人が一定のレベルに達する期間の最小化を図るためでした。
このようにパターン化した効果は顕著なものではありませんが、新人が明細書という文章に慣れ親しむためには、格好の材料と考えています。新人は圧倒的に「には書き」を使い始めます。しかし、この文章は主語があいまいになり易く、外国語に翻訳するときには不適です。少しずつ慣れるに従って、「は書き」が入り交ざるようになります。さらに上達すると自分なりの境地を開発していくのです。

このように当所の明細書は、ある程度パターン化されているのですが、これが明細書のシンプル化に役立っていることは、間違いありません。そのことが当所の明細書効率の向上にどれだけ貢献しているかは、把握できていません。ほとんどの当所スタッフが未経験で入所して来ます。岐阜という田舎にあって経験者を採用することが非常に難しいからです。その初期教育に大いに役立っていることは確実です。

2006年9月発行 第77号

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