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3. 驚くべき「水」事情の上海

2008年6月

特許業務法人オンダ国際特許事務所
常任理事 谷尾唱一

 

前回の上海随想【2】に追加しなければならない情報がある。
風説では、浦東新区の「金茂大厦」(ジンマオタワー)「上海環球金融中心」(森ビル)に隣接して高さ580mの超高層ビル「上海センター」が建設されるというのだ。現在アラブ首長国連邦で建設中の「ブルジュ・ドバイ」818m、アメリカで建設中の「シカゴ・スパイア」609mに次ぐ高さの高層ビルである。完成すれば、この一角には高さ468mの「東方明珠塔」、420mの「金茂大厦」、492mの「上海環球金融中心」と合せ、巨大高層建造物4棟が近接して林立することになる。都市計画の詳細は承知しないが「金茂大厦」の北側(黄浦江側)にも広大な空地があり、まだまだ巨大建造物が現れるのだろう。この一角の街の様子は毎日のように変化する。

この「上海センター」の建設用地は2007年末までは浦東一人気のあったゴルフ練習場跡地である。2008年になって工事が着工され、このゴルフ練習場に隣接した二階建て建物には四川料理店、上海料理店、日本料理店、韓国料理店、マッサージ店、ゴルフ用品店、骨董品店やスナックなどが開業し昼夜繁盛していたが、これらの店は突然に退去させられ建物自体が取り壊されてしまった。「金茂大厦」にオフィスを構える会社の社員や観光客の多くは食事や憩いの場を失い、あまり評判のよくない「金茂大厦」地下のビル食堂を利用する以外方法がなくなった。これを利用しないとすれば、弁当持参かコンビニ弁当に依存するしかない。短期駐在者や出張者にとっては困ったものだ。そればかりではない。工事現場周辺の道路や地下鉄2号線「陸家嘴駅」の「金茂大厦」寄り出入口までが突然封鎖され、人の動線までが変わってしまった。迷惑千万な話だ。それでも上海人は「仕方のないこと」と言って淡々としているのだ。

 

驚くべき「水」事情の上海

 

上海人(中国人)は決して「水」を飲まないし、水道水は飲めない。誤って飲料すれば体内に抗体を持たない日本人には、単なる下痢ではすまされないだろう。彼らは昼食のレストランでは「お湯」、有料の茶か缶ジュースである。さもなければビールか老酒だ。上海の水事情の劣悪さが、日常の生活スタイルを変えてしまったのであろう。

水道の蛇口からは泥臭いばかりか、鉄分の混濁した赤い水が出る。浴室のシャワーや浴槽の湯が発する異臭は容易になじめるものではない。水道水の用途は、食器洗いや風呂水か洗濯用水、トイレ水洗用水にしかならない。洗顔や歯磨き、料理用に用いるとしたら相当の決心がいる。洗濯用水にするにも問題がある。白い洗濯物が十分な水洗を施しても簡単に黄変するのだ。

平均的な家庭や事務所では水道水とは別に、ペット製タンクに入った浄化水を購入するが、このタンクを搭載した給湯・給水器がある。歯磨きの後はこの水で再度「うがい」をしないと何となく落ち着かない。この水は専ら料理用や茶、コーヒーに用いるものだ。さらに問題は、日本の某浄水器メーカの評価によれば、この市販の浄化水ですら雑菌の培養池であるという。そうであるとすれば、日本人には市販の「日本製の水」か、自家用の浄水器を設置するほかない。冷蔵庫での製氷には当然これしかないだろう。水事情の悪い国への旅行者がウイスキーの水割りで被害を受けるのは、大概この氷だ。しかしこの「日本製の水」ですら本物か偽物かの区別がつかないとなれば、もはや打つべき手段がない。

水は、含まれるミネラル分の含有量によって「硬水」と「軟水」に区別されるが、日本と異なり上海は「硬水」である。「軟水」での生活習慣をもつ日本人には、この「硬水」自体が曲者で胃腸の負担が大きく下痢の原因にもなる。かつて、日本から「魚沼産のコシヒカリ」を持ち込み、「日本製の水」で中国製の炊飯器を用いて飯を炊いたが、その完成度の悪さに驚嘆したものだ。もしかしたらこの「日本製の水」は偽物であったかもしれない。ただ、上海経験の長い日本人駐在員の説では、日本米を日本並みに炊飯するには「水」はもちろんであるが「炊飯器」に問題があるという。日本の電気炊飯器でないと駄目だと言うのだ。東南アジアからの日本旅行者が日本製の電気炊飯器を持ち帰る事情にうなずける気がする。日本料理や味覚文化はすべて「軟水」に依存して育まれたものであることをあらためて理解した。

もともと上海の水道設備は、租界時代の1880年代にイギリスから導入されたのが始まりであるという。一部では50年以上も使用されているものもあるらしく水道管の老朽化も激しい。そのため、あちらこちらで派手な水道管の取替え工事が行われ、雨でも降れば工事区域は沼田状態である。市街地マンションや住宅の老朽化もある。加えて、これらの貯水槽のメンテナンス不十分による雑菌やにおいの発生も少なくはないだろう。

上海にとって重要な水源である長江からの取水源には生活排水や工場排水、汚水、農薬が流入し水質汚染も深刻だ。蘇州河は60年以上も浚渫(しゅんせつ)が行われず、河床には有機物、無機物が堆積したままだったらしいが、最近になってようやく浚渫工事が行われたという。すべて完成すれば少しは水質改善になるだろう。食品の安全性確保も当然のことながら、増え続ける上海市民2000万人の命の源である「水」を「飲める」レベルで確保維持することは並大抵な事業ではないことは明らかだ。飲料水も料理用水も風呂水もトイレ水洗用水も同じ「水道」である日本の「水」事情と比較し、上海人がエネルギー負荷の大きい「お湯」ではなく、飲める「水」の生活習慣に変化するのは先の長いことだろう。